従業員持株会は「退職金の前払い」という思想。非上場会社が導入する戦略的インセンティブ設計

ストックオプションは、IPOを目指す一部のスタートアップの特権であり、自社のような非上場の中小企業には縁のない制度だと考えられているかもしれません。しかし、従業員のエンゲージメントを高め、会社の成長を自分事として捉えてもらうための仕組みは、会社の規模や上場の有無に関わらず、すべての経営者が向き合うべき本質的な課題です。

本記事では、その有力な解決策として「従業員持株会」という制度を、新たな視点から解説します。それは、単なる福利厚生ではなく、従業員と共に会社の未来を築き、その成果を分配するための戦略的な資本政策です。

このメディアでは、税金というテーマを、単なる節税テクニックとしてではなく、個人や法人の資産、ひいては人生の選択肢を豊かにするための知的な道具として扱います。今回の従業員持株会も、その思想を体現する仕組みの一つです。これは、従業員にとっての「退職金の前払い」であり、会社の成長と個人の資産形成を直結させる、合理的なインセンティブ設計と言えるでしょう。

目次

なぜ会社は「株主目線」の従業員を必要とするのか

会社が持続的に成長するためには、従業員一人ひとりが与えられた業務をこなすだけでなく、コスト意識や売上への貢献意欲を自律的に持つことが不可欠です。いわゆる「株主目線」や「経営者目線」と呼ばれるこの視点は、どのようにして育まれるのでしょうか。

日々の朝礼で経営理念を唱和するだけでは、真の当事者意識は醸成されにくいかもしれません。従業員の働きが、会社の利益となり、そして最終的に自分自身の具体的な利益として還元される。この経済的な連動性があって初めて、従業員は会社の成長を「自分事」として捉えることができます。

従業員持株会は、この連動性を制度として実現する仕組みです。従業員が自社の株主となることで、会社の業績向上や株価上昇が、自身の資産増加に直結します。給与という労働の対価に加え、会社の成長そのものがリターンとなることで、従業員の視点は自然と高まり、日々の業務に対する意識も変わる可能性があります。これは、経営者と従業員が同じ方向性を向き、共通の目標を目指すための、重要な指針となり得ます。

非上場会社における従業員持株会の税務上の利点

従業員持株会がインセンティブとして機能する背景には、税務上の優遇措置が存在します。特に非上場会社にとって、この利点は制度設計の根幹をなす重要な要素です。

配当金にかかる源泉徴収税率の軽減措置

通常、個人が法人から配当金を受け取る場合、所得税と住民税を合わせて20.42%が源泉徴収されます。しかし、一定の要件を満たす従業員持株会(民法上の組合として設立されたもの)が会社から一括して配当を受け取り、それを構成員である従業員に分配する場合、この源泉徴収税率が軽減される可能性があります。

この税率差は、従業員の手取り額に直接的な影響を与えます。例えば、会社が100万円の配当を持株会に出した場合、優遇税制が適用されると、通常の源泉徴収に比べて手取り額が増加します。この差額は、従業員にとって実質的な利益となり、会社への貢献意欲を促進する一因となります。

退職時の株式売却益にかかる税金

従業員が退職する際には、保有していた株式を持株会を通じて会社に買い取ってもらうのが一般的です。このときに得られる売却益は「譲渡所得」として扱われます。

給与所得が他の所得と合算して税率が決まる総合課税であるのに対し、株式の譲渡所得は他の所得と分離して計算される申告分離課税が適用されます。税率は所得税と住民税を合わせて20.315%です。高額な給与所得者であれば、給与として受け取るよりも、株式の譲渡益として受け取る方が税制上有利になるケースが多くなります。

このように、従業員持株会は入口(配当)と出口(売却)の両方で税務上の利点を享受できる可能性があり、非上場会社が従業員の資産形成を支援する上で、効果的な制度設計と言えます。

制度導入に向けた実務的なステップ

従業員持株会の導入は、単に規約を作成して完了するものではありません。特に非上場会社の場合は、実務上、慎重に検討すべき点がいくつか存在します。

客観的な株価の算定

上場企業と異なり、非上場会社の株式には市場価格がありません。そのため、従業員が株式を取得したり、退職時に売却したりする際の「株価」を、客観的かつ合理的な方法で算定する必要があります。

株価の算定方法には、会社の純資産を基準とする「純資産価額方式」や、事業内容が類似する上場企業の株価を参考にする「類似業種比準価額方式」など、複数の方法が存在します。どの方法を選択するかは、会社の状況や制度の目的に応じて決定しますが、税務上の観点も踏まえた専門的な判断が求められます。このプロセスは、税理士や公認会計士といった専門家と連携しながら進めることが不可欠です。

退職時における株式の買取ルール

従業員が安心して持株会に参加できるかどうかは、「出口」が明確に設計されているかに大きく依存します。退職時に、それまで積み立ててきた株式を、会社がどのような価格で、確実に買い取るのか。この「買取ルール」こそが、制度の信頼性を担保する上で根幹となる要素です。

就業規則や持株会規約において、以下の点を明確に定めておく必要があります。

  • 買取価格の算定方法:前述の株価算定ルールと連動させ、客観的な基準を明記します。
  • 買取義務の所在:会社または持株会が、退職者からの買取請求に応じる義務を負うことを定めます。
  • 支払時期と方法:買取対金をいつ、どのように支払うかを具体的に規定します。

このルールが曖昧なままでは、従業員は株式の流動性が確保されないリスクを懸念し、制度への参加をためらう可能性があります。出口の道筋を明確に示すことが、経営者に求められる重要な役割です。

まとめ

従業員持株会は、「ストックオプションは自社に関係ない」という考えに対し、現実的で有効な選択肢を提示します。特に非上場会社において、この制度は単なる福利厚生の枠を超え、企業の成長戦略そのものとなり得ます。

  • 従業員の視点:会社の成長が自身の資産形成に直結することで、日々の業務に「株主目線」が加わる可能性があります。
  • 税務上の利点:配当や株式売却時の税制上の措置が、実質的な手取り額を増やすインセンティブとして機能します。
  • 経営の思想:これは、従業員に「退職金の前払い」を行うことと捉えることもできます。会社の未来価値を従業員と共有し、共にその価値を高めていくという経営者の意思表示でもあります。

導入には、株価算定や買取ルールの設計といった実務的な課題が存在します。しかし、それらを乗り越えて構築された制度は、従業員と経営者の間に信頼関係を構築し、組織全体を同じ目標に向かわせる要因となる可能性があります。

従業員が、単に労働の対価として給与を得る存在から、会社の未来を共に創るパートナーへと変わっていく。従業員持株会という資本政策は、その組織像を現実のものとするための一歩となり得ます。

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この記事を書いた人

サットヴァ(https://x.com/lifepf00)

『人生とポートフォリオ』という思考法で、心の幸福と現実の豊かさのバランスを追求する探求者。コンサルタント(年収1,500万円超/1日4時間労働)の顔を持つ傍ら、音楽・執筆・AI開発といった創作活動に没頭。社会や他者と双方が心地よい距離感を保つ生き方を探求。

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