「経済学の父」として知られるアダム・スミス。彼の名前からは「見えざる手」や「自由放任主義」といった言葉が連想されるかもしれません。しかし、彼の思想の核心は、単に市場の自由にすべてを委ねることではありませんでした。むしろ、彼の探求の中心にあったのは、個人の自由と財産を最大限に尊重するために、国家はどのような役割を担うべきか、という問いです。現代の社会システムを考察する上で、近代における税の思想を理解することは不可欠です。本記事では、アダム・スミスに焦点を当てます。彼が理想とした国家の姿と、なぜ彼が個人の領域に深く介入する「所得税」という仕組みを警戒したのか。その思想を紐解くことで、現代の私たちを取り巻く「大きな政府」と税のあり方を、新たな視点から見つめ直すための論点を提供します。
アダム・スミスが描いた理想の国家像
アダム・スミスの思想を理解するためには、まず彼がどのような国家を理想としていたのかを知る必要があります。彼の主著『国富論』が目指したのは、一部の権力者や商人の富ではなく、国民全体の豊かさでした。
「見えざる手」が機能するための前提条件
スミスが提唱した「見えざる手」とは、人々が自己の利益を追求する行動が、結果として意図せず社会全体の利益をもたらすという市場のメカニズムを指します。パン屋が利益のためにパンを焼く行為が、結果として地域の人々の食を満たすように、個人の利己的な活動が社会的な調和を生み出すと考えたのです。このメカニズムが最大限に機能するためには、国家による市場への過度な介入は不要であるとスミスは主張しました。政府が価格や生産量を細かく規制するよりも、自由な競争に任せた方が、資源はより効率的に配分され、国全体が豊かになると考えたのです。
国家の役割を限定する「夜警国家」
しかし、スミスは国家が全く不要だと考えたわけではありません。彼が理想としたのは、あくまでその役割が限定された「安い政府」、すなわち「夜警国家」でした。スミスによれば、国家が担うべき責務は、主に以下の三つに集約されます。
- 国防: 他国からの侵略や暴力から社会を守る。
- 司法: 国民一人ひとりの権利と財産を、他者からの侵害や抑圧から守るための厳格な司法行政を確立する。
- 公共事業: 個人や小規模な集団では採算が合わないため供給できないが、社会全体にとっては大きな利益となる特定の公共事業や施設(道路、橋、港など)を建設し、維持する。
これら以外の領域、特に個人の経済活動に対して、国家は極力介入すべきではない。これが、アダム・スミスの描いた国家と個人の適切な距離感でした。
アダム・スミスが所得税に反対した二つの理由
スミスは、国家の活動を支えるために税金が不可欠であることは認めていました。彼は『国富論』の中で、有名な「租税の四原則(公平、明確、便宜、徴税費の最小化)」を提唱しており、税そのものを否定していたわけではありません。しかし、彼は特定の税、とりわけ「所得税」という考え方に対して、極めて批判的な立場をとりました。彼が生きた18世紀のイギリスではまだ恒久的な所得税は導入されていませんでしたが、その概念に対しては強い警戒を示していました。その理由は、大きく二つに分けられます。
理由1:個人の自由とプライバシーへの介入
スミスが所得税を問題視した最大の理由は、それが個人の自由を根本から侵害すると考えたからです。所得を正確に把握するためには、納税者の収入や資産状況を、国家権力が詳細に調査する必要が生じます。帳簿を調べ、取引を監視し、時には私的な領域にまで踏み込まざるを得ません。スミスは、このような国家による「探るような訪問(inquisitorial visit)」は、自由な市民にとって許容しがたい介入であり、権力による不当な干渉であると指摘しました。個人の経済活動は、あくまでプライベートな領域に属するものであり、国家がそれを隅々まで監視する権利はない。この信念が、彼の所得税に対する反対論の根幹にありました。
理由2:経済成長の源泉である資本蓄積の阻害
もう一つの理由は、経済的な合理性に根ざしています。スミスにとって、国の富を増やす源泉は「資本の蓄積」でした。人々が労働によって得た所得から消費を差し引いた残りが貯蓄され、それが新たな事業や生産設備に再投資されることで、経済は成長し、雇用が生まれ、国全体が豊かになっていく。このサイクルこそが『国富論』の核心です。しかし、所得税はこのプロセスを直接的に阻害します。本来であれば再投資に回るはずだった資金(資本)の一部を、国家が強制的に徴収してしまうからです。スミスにとって所得税は、経済成長のエンジンである資本の蓄積を妨げ、ひいては国民全体の豊かさを損なう非効率な仕組みに映ったのです。
現代社会から再評価するスミスの思想
アダム・スミスが描いた夜警国家の理想は、現代から見れば遠い過去のものかもしれません。彼の時代以降、国家の役割は飛躍的に拡大しました。二度の世界大戦、世界恐慌、そして福祉国家の理念の広がりを経て、現代の国家は教育、医療、社会保障といった広範な領域に責任を負う「大きな政府」へと変貌を遂げました。この「大きな政府」を支える財政的基盤こそが、スミスがあれほど警戒した所得税です。所得税は累進課税という仕組みを通じて富の再分配を可能にし、社会の安定に寄与してきた側面も存在します。
スミスの警告が持つ現代的意義
しかし、私たちは現代社会において、スミスの警告が現代的な意味を持つことにも気づかされます。今日の複雑化した税制、そしてデジタル化の進展に伴う国家による個人情報の集約は、スミスが懸念した「探るような訪問」が、より巧妙かつ大規模に行われている状況と見ることもできます。私たちは、自らの経済活動の多くを、国家に把握されることを前提として生活しています。社会システムと個人の関係性を考える上で、人生で最も貴重な「時間資産」をいかに維持し、自らの価値基準で豊かさを形成するかという視点は重要です。この観点からスミスの思想を見ると、重要な示唆が浮かび上がります。高い税負担は、私たちが自らの労働によって得た価値の一部を、国家に譲渡することを意味します。それは間接的に、私たちの「時間資産」を差し出す行為とも解釈できます。スミスの思想は、国家に依存するのではなく、国家と適切な距離を保ち、個人の自由と資産を基盤として自律的な人生を設計するための、一つの視点となり得るのです。
まとめ
本記事では、アダム・スミスがなぜ所得税に反対したのかを、彼の国家観や経済思想から解説しました。
- アダム・スミスが理想としたのは、国防や司法といった最小限の役割を担う「夜警国家」であり、個人の自由な経済活動を最大限に尊重する社会でした。
- 彼が所得税に強く反対したのは、それが個人のプライバシーに介入する自由への脅威であり、経済成長の源泉である資本の蓄積を妨げる非効率な仕組みだと考えたからです。
アダム・スミスは、単なる「自由放任主義者」というレッテルで語られがちですが、その思想の深層には、国家権力に対する健全な警戒心と、個人の尊厳への深い敬意が存在します。彼の問いかけは、約250年の時を超え、現代を生きる私たちに示唆を与えます。私たちが当然のこととして受け入れている税という制度、そして国家と自分との関係性を、一度立ち止まって見つめ直す。アダム・スミスの思想は、そのための普遍的な視点を提供してくれるのです。








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