本稿では、特定の民族文化の是非を論じるものではなく、国家による税制とは異なる社会的な富の循環システムについて、贈与経済という人類学的な観点から分析します。
序論:国家なき社会の富と秩序
現代社会において「税金」は、国家が法的な強制力をもって徴収し、公共サービスや社会保障を通じて再分配する仕組みとして機能しています。これは現代国家の根幹をなすシステムですが、富の循環と社会的義務の維持は、常に国家の強制力を必要とするのでしょうか。
当メディアでは、税を単なる経済的負担としてではなく、社会を形成する根源的な力学として探求しています。今回の記事では、国家による税制とは異なる、もう一つの社会システムに光を当てます。それが「贈与経済」です。
具体的なケーススタディとして、ニュージーランドの先住民マオリの社会を取り上げます。彼らの間で行われる「タオンガ(宝物)」の交換は、なぜ単なる贈り物で終わらないのでしょうか。そこには、受け取った側に返礼を義務付ける、強力な社会的ルールが存在します。本稿では、この国家の介入によらない富の循環システムの構造を解き明かし、現代社会を相対化する視点を提供します。
贈与経済とは何か:貨幣以前の社会契約
まず、この記事の分析の土台となる「贈与経済」という概念について整理します。これは、フランスの社会学者マルセル・モースがその著作『贈与論』で論じたことで知られる、社会・経済のあり方の一つです。
貨幣経済が、価値の尺度を統一し、不特定多数との間で即時的な等価交換を可能にするのに対し、贈与経済は異なります。そこでの交換は、人格や歴史を宿した贈り物を介して行われ、一度では完結しません。「贈与」「受領」「返礼」という一連のプロセスには時間差があり、この継続的な貸し借りの関係性が、人々の間に永続的な社会的絆を形成します。
このシステムは、結果として国家の税制が担う機能と類似した役割を果たすことがあります。つまり、富が特定の人に偏在するのを防ぎ、社会全体で循環させる「再分配」の機能と、相互の義務を確認し合うことで「社会的結束を維持」する機能です。しかし、その原動力は法の強制力ではなく、文化に根ざした相互の義務感にあると考えられます。
マオリ社会の「タオンガ」と、その精神的本質「ハウ」
それでは、マオリ社会の事例を具体的に見ていきましょう。彼らの社会における贈り物の交換、特に「タオンガ」と呼ばれる特別な品々のやり取りは、贈与経済の典型例とされています。
タオンガとは、単に高価な物品を指す言葉ではありません。それは、緑石の装飾品や精巧な彫刻が施された道具、あるいは特別な知識や歌といった無形のものまで含みます。タオンガが重要視されるのは、そのモノ自体が持つ価値以上に、それが宿しているとされる「マナ(威信)」や、特定の家系に代々受け継がれてきた歴史、そして作り手や過去の所有者の人格そのものが込められていると信じられているからです。
このタオンгаの贈与を理解する上で不可欠な概念が、「ハウ(hau)」です。ハウは、しばしば「贈り物の霊力」や「精神」と訳されます。マオリの思想によれば、ある人から贈られたタオンガには、元の所有者のハウが宿ると考えられています。そして、このハウは、常に元の場所へ還ろうとする性質を持つとされています。
したがって、タオンガを受け取った者は、その贈り物と、それに宿るハウを自分だけのものとして留めておくことはできません。受け取った贈り物は、いずれ何らかの形で、同等かそれ以上の価値を持つ返礼品として、元の持ち主、あるいはその共同体へと返さなければならないのです。この返礼の義務こそが、ハウの要求に応える行為だと考えられています。
「返礼の義務」がもたらす社会機能
マオリ社会におけるハウの概念は、単なる精神的な思想にとどまらず、社会を動かす具体的なルールとして機能しています。
社会的信用の維持
この返礼の義務は、国家の法律のように明文化されているわけではありません。しかし、その拘束力は非常に強力であるとされます。もし誰かが受け取ったタオンガに対して適切な返礼を怠った場合、その個人や共同体は「マナ」を失い、社会的な信用や評判を大きく損なうことになります。それは、共同体の中での孤立を意味し、社会生活にとって深刻な影響を及ぼす可能性があります。このように、法的な制裁ではなく、文化的な価値観と相互監視が、返礼を強力な「義務」として成立させているのです。
富の循環と再分配
タオンガの交換は、富や資源が特定の個人や集団に滞留することを防ぎ、社会全体に循環させるシステムとして機能します。ある共同体が豊かになった時、その富をタオンガとして他の共同体に贈与することで、富は移動します。そして、贈与を受けた側は将来の返礼を義務付けられるため、富は再び別の形で社会を巡ることになります。これは、国家が税制によって意図的に行う富の再分配と、類似した効果を持つ社会的メカニズムと見なすことができます。
永続的な人間関係の構築
贈与経済における交換は、取引の終了を意味しません。むしろ、新たな関係性の始まりを示唆します。「贈与」と「返礼」の間に存在する時間的な隔たりは、当事者間に「貸し」と「借り」の永続的な関係性を生み出します。この絶え間ない贈り物のやり取りを通じて、個人間、そして共同体間の絆は繰り返し確認され、強化されていくのです。
現代社会から見た贈与経済の意義
マオリ社会のタオンガの事例は、現代を生きる私たちに何を教えてくれるのでしょうか。この古代の知恵を、私たちの社会の視点から再考してみます。
貨幣経済が希薄化させた関係性
私たちの貨幣経済は、効率性と匿名性を追求する中で、取引から人格的な要素を切り離してきました。商品の価格を支払えば取引は完了し、売り手と買い手の間に人格的な関係性は通常、生まれません。しかし、私たちは今でも、誕生日プレゼントやお歳暮、冠婚葬祭のご祝儀といった形で、贈与経済の断片的な慣習を続けています。これらの行為は、モノやお金の等価交換が目的ではなく、相手との関係性を確認し、維持することに本質的な価値があることを示唆しています。
「税」に対する新たな視座
この視点を持つと、「税」に対する見方も変わる可能性があります。税を国家による一方的な徴収と捉えるのではなく、社会という共同体を維持するために、私たち市民が未来の世代や他の構成員に対して行う、一種の巨大な「贈り物」と捉え直すことはできないでしょうか。マオリのタオンガが社会の絆を強化するように、税もまた、私たちの社会的な連帯感を醸成するためのシステムである、という解釈も成り立つかもしれません。
まとめ
ニュージーランド・マオリ社会における「タオンガ」の交換は、単なる物のやり取りではなく、返礼の義務を生み出す「ハウ」という精神的な概念に支えられた、洗練された贈与経済の姿を私たちに示唆します。
このシステムは、国家による法的な強制力がなくても、文化的なルールを通じて富の再分配と社会的な結束を維持することが可能であることを示しています。贈与は人間関係を創出し、返礼の義務はその関係性を永続的なものにします。
私たちが当然と考えている貨幣と税を介した社会システムは、人類の歴史における数多くの選択肢の一つに過ぎないのかもしれません。マオリの事例は、経済活動と人間関係が分かちがたく結びついていた社会のあり方を示唆します。この知見は、現代社会のシステムを客観的に見つめ直し、より人間的で持続可能な関係性をいかに築くかを考える上で、重要な視点を提供すると考えられます。
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