長年にわたり経営してきた会社を、次の世代へ引き継ぐ。その大きな節目を前に、多くのオーナー経営者が一つの疑問に直面します。「代表取締役は退くが、会長や相談役として会社には残りたい。しかし、会社に在籍し続ける限り、創業者としての功労に対する退職金は受け取れないのではないか」。この考えは、必ずしも正しいとは言えません。
会社に籍を置きながら、役員退職金を受け取ることは可能です。その鍵となるのが「分掌変更」という税務上の概念です。これは、役員の職務内容や職責が大きく変わり、実質的に退職したと見なせる状況において、退職金を支給し、会社の損金として算入することを認める考え方です。
この記事では、「分掌変更による役員退職金の支給」という有効な選択肢について、その根拠と具体的な要件を解説します。これは単なる節税手法ではありません。事業承継のタイミングで創業者としての利益を一度確定させ、同時に相続財産を圧縮するという、経営者としての功績を形にし、次の人生設計へ繋げるための重要な財務戦略です。
法人税法が認める「実質的な退職」という考え方
役員退職金が、原則として役員の「退職」を機に支払われるものであることは言うまでもありません。ではなぜ、会社に在籍し続けながらの支給が認められるのでしょうか。
その根拠は法人税法の解釈にあります。法人税法では、形式上の退職だけでなく、「役員の分掌変更等の事実により、その役員が実質的に退職したと同様の事情にある」場合も、退職事由として認めています。つまり、肩書が残っていたとしても、その役職、権限、報酬が大きく変化し、経営の第一線から退いたと客観的に判断できれば、それは「実質的な退職」に該当するという考え方です。
この解釈に基づき、代表取締役から代表権のない会長へ、あるいは常勤役員から非常勤の相談役へ移行するタイミングで退職金を支給するという戦略が成り立ちます。この「分掌変更」を伴う役員退職金の支給は、税務上、適切に運用すれば合法的に認められる手法と言えます。
分掌変更が「実質的な退職」と認められるための要件
税務当局に「実質的な退職」と認めさせ、支給した退職金を損金として算入するためには、客観的な事実をもってその状況を証明する必要があります。具体的には、主に以下の3つの要件を満たすことが求められます。
役員の地位や職務内容の大きな変化
最も重要な要件は、役員としての地位や職務内容が、分掌変更の前後で明確に、そして大きく変化していることです。
例えば、以下のようなケースが該当します。
- 代表取締役が、代表権のない会長や相談役に就任する。
- 常勤役員が、非常勤役員になる。
- 取締役を退任し、監査役に就任する。
ポイントは、「経営上の主要な地位から退いた」と客観的に説明できるかどうかです。単に役職名が変わるだけでは不十分であり、取締役会での議決権の有無や、日々の業務執行に対する権限が実質的に失われている状態が求められます。
役員報酬の著しい減少
地位や職務内容の変化を客観的に裏付ける指標となるのが、役員報酬の変動です。一般的には、分掌変更後の役員報酬が、変更前の50%以下に減少していることが一つの目安とされています。
なぜ報酬の減少が重要かというと、それが経営への貢献度や責任の度合いが低下したことを示す、明確な証左となるからです。報酬がほとんど変わらない、あるいは微減にとどまる場合、実質的には経営への影響力を保持したままだと判断され、分掌変更が否認される可能性があります。
経営への関与度の明確な低下
肩書が変わり、報酬が下がったとしても、実態として経営の重要事項に関与し続けていれば、「実質的な退職」とは認められません。
例えば、分掌変更後も重要な取引の最終決定を行っていたり、代表取締役と同等の権限を行使し続けていたりする実態があれば、税務調査において指摘を受けるリスクが高まります。株主総会や取締役会の議事録を適切に整備し、変更後の権限や職務分掌を明確に記録しておくことが不可欠です。
なぜこの戦略が有効なのか?二つの大きな価値
分掌変更による役員退職金の支給は、単に税負担を軽減する以上の、二つの大きな戦略的価値を持ちます。
創業者利益の確定と次世代への配慮
会社が成長する過程で蓄積されてきた内部留保は、創業者である経営者の功績の結果と言えます。しかし、それは会社の資産であり、経営者個人の資産ではありません。役員退職金は、この会社の利益を、税制上優遇された形で経営者個人に移転する、数少ない機会の一つです。
事業承継のタイミングでこの戦略を実行することで、経営者としてのリターンを一度確定させることができます。さらに、会社から個人へ多額の現金が移ることで会社の純資産が減少し、結果として非上場である自社株式の評価額を引き下げる効果が期待できます。これは、将来発生する相続において後継者が負担する税を圧縮することに繋がり、円滑な事業承継を後押しします。
退職所得控除という税制上の仕組み
役員退職金は、給与所得や事業所得など他の所得とは別に税額を計算する「分離課税」の対象となります。さらに、勤続年数に応じた「退職所得控除」という大きな控除枠が適用され、その控除後の金額をさらに2分の1にしてから課税されるため、実質的な税負担は他の所得に比べて大幅に軽減されます。
この税制上の仕組みを最大限に活用できる点が、本戦略の大きな利点です。
実行する上での注意点
この戦略は非常に有効ですが、その運用には細心の注意が必要です。形式を整えるだけでは、税務上のリスクを伴う可能性があります。
第一に、恣意的な運用と判断されないことが重要な前提となります。株主総会議事録や取締役会議事録、役員退職慰労金規程などを適切に整備し、分掌変更の事実と退職金支給の決議を客観的な証拠として残す必要があります。
第二に、退職金の金額が「不相当に高額」と判断されないことです。役員の功績や勤続年数、同業他社の水準などを考慮した、妥当な金額でなければ、高額と判断された部分の損金算入が否認される可能性があります。
これらの判断には専門的な知識を要するため、自己判断で進めることは推奨されません。企業の税務に精通した税理士などの専門家と十分に協議し、自社の状況に合わせた最適な計画を策定することが重要になります。
まとめ
長年の経営から一歩退き、会長や相談役として会社を見守るステージへ移行する。その大きな節目において、「分掌変更による役員退職金」の支給は、検討に値する合理的な選択肢です。
- 代表権の返上や報酬の半減など、実質的に退職したと認められる要件を満たせば、在籍中でも役員退職金の支給が検討できます。
- これにより、創業者利益を税制上有利な形で確定させると同時に、自社株評価額を引き下げ、相続対策にも繋がる可能性があります。
この手法は、単なる目先の節税策ではありません。創業者としてのキャリアを適切に清算し、築き上げた資産を次世代へ円滑に承継するための、人生のポートフォリオを最適化する高度な財務戦略です。ご自身の会社の状況と照らし合わせ、まずは信頼できる専門家へ相談することから始めてみてはいかがでしょうか。









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