なぜ人は未来のリスクに現在のお金を支払うのか — 不確実性を分配する社会の仕組み

「保険」という言葉を聞くと、「支払った保険料に対して、いくら還元されるのか」という損得の観点で捉えてしまうことがあります。月々の支払いをコストと認識し、何も起こらなければ損失だと感じる人も少なくないかもしれません。しかし、この見方は、保険というシステムが持つ本質的な価値を見過ごしている可能性があります。

そもそも、なぜ私たちは、発生するかどうかも分からない未来の「リスク」に対し、現在のお金を支払い続けるのでしょうか。この問いの答えを探ることは、単なる金融商品の理解を超え、人間が社会を形成し、不確実な未来といかに向き合ってきたかという、根源的な構造を解き明かすことにつながります。

本稿では、当メディアの主要なテーマである税と社会の関係性という視点も交えながら、保険を「リスクを共同体で分かち合う社会的装置」として捉え直します。その仕組みと、なぜ社会にとって不可欠なのかを解説します。

目次

保険の本質はリスクの社会化

保険の核心は、個人では対応しきれないリスクを共同体全体で共有し、その影響を分散させる「リスクの社会化」という概念にあります。

予測困難な事象がもたらす影響

私たちの人生は、予測が難しい出来事と隣り合わせです。ある日突然、大きな病気を患う可能性や、自宅が災害に見舞われる可能性も否定できません。これらの出来事は、いつ誰に起こるか予測が困難であり、一度発生すれば、個人の経済力だけでは対処が難しいほどの金銭的負担を強いる場合があります。

一人の人間にとって、このような大きな損失は、生活基盤そのものを揺るがしかねない事態です。しかし、視点を社会全体に広げると、これらの出来事は一定の確率で発生する「統計的に予測可能な事象」として捉えることができます。

大数の法則に基づくリスクの平準化

ここで機能するのが、近代保険の根幹をなす数学的な原理、「大数の法則」です。これは、観察対象(サンプル数)を増やすほど、事象の発生確率が特定の安定した値に近づくという法則を指します。

例えば、ある年に特定の疾病にかかる人の割合は、社会全体で見れば、ある程度予測が可能です。保険とは、この法則を応用したシステムです。大勢の人が少しずつお金(保険料)を出し合うことで一つの大きな資金プールを形成し、その中から、実際に不運な事態に見舞われた少数の人に対して、必要な資金(保険金)を支払います。

これは、将来起こるかもしれない「大きな損失」という一点集中のリスクを、多数の人間による「現在の小さなコスト」へと時間的・空間的に分散させる行為に他なりません。未来の不確実性を、現在において平準化する、合理的な仕組みと言えるでしょう。

人が保険を受け入れる心理的・社会的背景

この数学的に合理的な仕組みが社会に機能している背景には、人間の心理的な特性と社会的な関係性が深く関わっています。

損失を避けたいという心理的傾向

人間の心理には、「利益を得る喜び」よりも「損失を被る痛み」を強く感じる傾向があります。これは「損失回避性」と呼ばれる心理的な特性です。私たちは、たとえ確率が低くても、生活の基盤を揺るがすような大きな損失の可能性を、強く意識する傾向にあります。

保険への加入は、この心理に基づいた選択です。「毎月、少額の保険料を支払う」という確実な小さなコストを受け入れることで、「いつか起こるかもしれない深刻な損失」という不確実で大きなリスクを回避する。これは、心理的な安定を得るための合理的な判断の一つです。

社会を形成する相互扶助の原則

保険の根源には、近代的な金融システムが成立する以前から人間社会に存在した「相互扶助」の原則があります。かつての共同体では、火災が起きた際に人々が協力して家の再建を手伝ったり、病人が出れば食料を分け与えたりするような、自然発生的なセーフティネットが存在しました。

保険は、この「お互い様」という共同体の機能を、より広範で匿名性の高い現代社会に合わせてシステム化したものと解釈できます。関係性の基盤は個人の信頼から契約へと変化しましたが、その根底には「誰かの危機は、自分自身の未来の危機かもしれない。だから、皆で支え合おう」という、社会を維持するための基本的な思想が流れています。

国家と保険制度の関係性

保険というシステムは、個人の選択に委ねられる「私的保険」だけではありません。国家が運営する「公的保険」もまた、私たちの生活を支える重要な基盤です。さらに国家は、税制を通じて私的保険の活用を促しています。

公的保険と私的保険の機能的な違い

私たちが加入を義務付けられている健康保険や年金保険、雇用保険といった社会保険は、国家による強制的なリスク分配システムです。これは、国民が最低限の生活を送る権利を保障するための、最も基礎的なセーフティネットと言えます。

一方で、民間企業が提供する生命保険や医療保険、火災保険といった私的保険は、公的なセーフティネットでは対応しきれない部分や、個人の価値観に基づき備えたいと考える多様なリスクに対応する役割を担います。これらは、個人が任意で構築する「私的なセーフティネット」と位置づけられます。

税制優遇にみる私的保険の社会的意義

ここで、税金の視点が重要になります。所得税や住民税の計算において「生命保険料控除」という制度が存在します。これは、支払った生命保険料の一部を所得から差し引くことで課税対象額を減らし、結果として税負担を軽減する仕組みです。

なぜ国家は、税収を減らす形で、個人の私的な保険への加入を支援するのでしょうか。その背景には、国民一人ひとりが自ら将来のリスクに備えることが、社会全体の安定に寄与するという考え方があります。もし個人が備えをしていなければ、不測の事態が起きた際の負担は、最終的に公的な財政、つまり税金で対応する必要性が高まる可能性があります。

生命保険料控除は、国家が「公的な保障には限界があり、それを補う個人的な備えは社会にとっても有益であるため、税制面で支援する」という方針を示していると解釈できます。これは、税金が単なる徴収機能だけでなく、国民の行動を社会的に望ましい方向へ促すインセンティブとして機能している事例です。

まとめ

私たちは、なぜ、まだ起きていないリスクにお金を支払うのでしょうか。その問いへの答えは、「損か得か」という二元論の中には見出せません。

保険の本質とは、個人の力では対応が難しい未来の不確実性を、確率論という論理と、相互扶助という原則によって制御し、共同体全体でその影響を吸収する社会的発明です。それは時間と空間を超えてリスクを分配し、人々の生活に予測可能性と安定をもたらす、合理的な仕組みなのです。

そして国家もまた、税制という形でこの私的なセーフティネットの構築を後押しし、公的な保障と補完しあう関係を築いています。保険は、将来のリターンを直接的に生み出す投資とは性質が異なります。その本質的な役割は、予期せぬ事態が発生した際に個人の経済的基盤を守り、生活の安定性を維持することにあります。これは、私たちが安心して未来へ向かうために、社会が時間をかけて構築してきた、合理的で不可欠な仕組みと言えるでしょう。

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この記事を書いた人

サットヴァ(https://x.com/lifepf00)

『人生とポートフォリオ』という思考法で、心の幸福と現実の豊かさのバランスを追求する探求者。コンサルタント(年収1,500万円超/1日4時間労働)の顔を持つ傍ら、音楽・執筆・AI開発といった創作活動に没頭。社会や他者と双方が心地よい距離感を保つ生き方を探求。

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