神話から読み解く国家の正統性
国家は、どのようにしてその正統性を構築するのでしょうか。多くの場合、その起源は神話の中に求められます。このメディアでは「税金(社会学)」という大きなテーマを扱いますが、その考察の第一歩として、国家が自らの創生をどのように物語るかを探求します。なぜなら、国家の徴税権を含むあらゆる権力は、その成り立ちの物語と深く結びついているからです。
今回は、ケーススタディとして古代ローマの建国神話を取り上げます。双子の兄弟、ロムルスとレムスの物語です。この物語は、兄ロムルスが弟レムスの命を絶つという結末を迎えます。
私たちはこの神話を、単なる伝承としてではなく、国家が定める「法」と「秩序」の絶対性を象徴する物語として読み解きます。なぜ、ロムルスはそのような行動をとらなければならなかったのか。この問いを通じて、国家というシステムの根源にある、厳格な原理を考察します。
ロムルスとレムスの物語と都市の「境界線」
ローマ建国の物語は、広く知られています。軍神マルスと巫女レア・シルウィアの間に生まれた双子の兄弟、ロムルスとレムス。彼らは王位継承を危惧した叔父によってテヴェレ川に流されますが、一匹の雌狼に助けられ、その乳を与えられて生き延びます。
成長した二人は自らの出自を知り、新たな都市を建設することを決意します。しかし、どちらが王となり、どの丘に都市を築くかを巡って対立が生じます。神意を問うための鳥占いが行われ、その結果、ロムルスがパラティヌスの丘に都市を築く権利を得たとされます。
ロムルスは儀式にのっとり、鋤で地面に溝を掘り、未来の都市の「境界線(ポメリウム)」を定めました。この線は、単なる物理的な目印ではありません。都市の内と外を分かち、内部の法が及ぶ神聖な領域を示す、きわめて重要な意味を持っていました。
境界線を越えるという行為が持つ意味
問題となる場面は、この直後に起こります。弟のレムスは、兄が定めたその神聖な境界線を侮り、それを越えてみせたのです。
この行為は、現代の感覚では、兄弟間の諍いの一場面と映るかもしれません。しかし、古代の文脈において、この行為が持つ意味は大きく異なります。レムスが越えたのは、土で盛られた低い壁だけではありません。彼が侵したのは、これから築かれる都市国家の「法」そのものであり、共同体の存立基盤となる「秩序」そのものでした。
新たに定められたルールを、その制定直後に、制定者の弟という近しい人物が公然と踏みにじる。これは、法の権威に対する挑戦であり、これから始まる共同体の秩序を根底から揺るがしかねない、重大な違反行為と解釈されるのです。
法の尊厳を維持するための厳格な対応
兄ロムルスの反応は、迅速なものでした。彼は、境界線を侵した弟レムスの命を絶ちました。そして、こう言ったと伝えられています。「我が城壁を越える者は、今後誰であろうと、このように処されよ」と。
この結末は、国家というシステムが持つ厳格な側面を象徴しています。国家の存続という目的の前では、個人的な関係性が二次的なものとされる可能性を示唆しているのです。ここで示されたのは、法の尊厳を侵す者に対しては、たとえ近親者であっても例外なく、厳格な対応をもって臨むという、国家の揺るぎない意志の表明でした。
このロムルスとレムスの物語は、後のローマ市民にとって、国家の法がいかに神聖で犯しがたいものであるかを教える、教育的な機能を果たした可能性があります。法の起源にこのような出来事を置くことで、法に従うことの重要性と、それに背くことの重大さを、人々の意識に深く形成していったと考えられます。
現代社会における「見えない境界線」
この古代ローマの神話は、現代社会を考察する上でも示唆を与えます。私たちは、物理的な城壁に囲まれて生活しているわけではありません。しかし、法律、社会規範、そして経済的なルールといった、無数の「見えない境界線」の中で生きています。
その根源的なルールの一つが、国家に対する「納税の義務」です。税金は、国家という共同体を維持し、法や秩序、公共サービスといった仕組みを機能させるための費用を、構成員で分担する制度です。この義務を履行しないことは、共同体のルールを一方的に無視する行為であり、レムスが境界線を越えた行為と、本質的な構造において共通点が見出せます。
もちろん、現代の民主主義国家が、納税義務の不履行者に対して神話に見られるような対応をすることはありません。しかし、法的手続きによる追徴や社会的信用の低下といった形で、共同体のルールを侵したことに対する応報は存在します。この意味で、ロムルスとレムスの神話は、国家と個人の間にある関係性の原型を示しているといえるでしょう。
まとめ
古代ローマの建国神話、ロムルスとレムスの物語は、国家の法の起源が、時に厳格な秩序形成の記憶の上に築かれるという側面を示唆しています。兄が弟の命を絶つという出来事は、共同体の秩序を維持するためには、いかなる個人的な情も超越するという、国家システムの厳格な論理を象徴しています。
この神話を通じて、私たちは、日頃当たり前のものとして受け入れている「法」や「国家」というものが、自明の存在ではないことを再認識する機会となります。そして、その秩序の内部で生きる者として、私たち一人ひとりが負っている責任について、改めて深く考えるきっかけを得ることができるのです。国家が語る創生の物語は、現代社会の成り立ちを理解するための一つの視点を提供するといえるでしょう。









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