なぜ、自分の「センス」は絶対だと感じるのか
「この音楽の良さがわからないとは」「あの服装はセンスがない」。私たちは日常的に、他人の趣味や選択に対して、無意識のうちに評価を下しています。そして、自分自身の「好み」や「センス」は、誰にも指図されない、完全に固有のものだと考えていることがほとんどです。しかし、その感覚は果たして真実なのでしょうか。
なぜ私たちは、特定のファッションを「洗練されている」と感じ、ある種の言葉遣いを「知的だ」と判断するのでしょう。その判断基準は、本当にあなた個人の内側から湧き出てきたものなのでしょうか。
このメディアが探求する大きなテーマの一つとして、本記事では私たちの「魂」、すなわち個人の根源的な選択や価値観が、いかに社会的な力によって形成されているかを解き明かします。その鍵となるのが、フランスの社会学者ピエール・ブルデューが提唱した「ハビトゥス」という概念です。この記事を読み終える頃には、ご自身の「好み」が持つ社会的な意味を理解し、他者の多様な価値観に対して、より深く、多角的な視点を得られるでしょう。
「好み」の正体:「ハビトゥス」とは何か
私たちの選択を理解する上で、まず「ハビトゥス」という概念を解説する必要があります。ハビトゥスとは、一言で言えば「身体化された歴史」です。個人が長年にわたって特定の社会環境で生活するうちに、無意識のレベルで身体に染み付いた、行動の傾向や思考の枠組みを指します。
これは単なる「癖」や「習慣」とは異なります。例えば、無意識に行う相槌の打ち方、食事の際のマナー、会話の際に選ぶ語彙、さらには美しいと感じる風景や心地よいと感じる音楽のタイプまで、ハビトゥスは私たちの存在の隅々にまで浸透しています。
重要なのは、ハビトゥスが個人の意識的な選択の結果というよりも、社会構造が個人の中に内面化されたものである、という点です。私たちは、自分のハビトゥスをあたかも生まれつきの「性向」や「個性」であるかのように感じます。しかし、その実態は、私たちが生きてきた社会的な「場」の構造を反映した、後天的なシステムなのです。
ハビトゥスはいかにして形成されるのか
では、この無意識の行動システムであるハビトゥスは、具体的にどのようにして私たちの身体に刻み込まれるのでしょうか。ブルデューは、その形成過程において「資本」という概念が決定的な役割を果たすと指摘しました。ここで言う資本とは、経済的な資本(お金や資産)だけを指すものではありません。
身体化された文化資本:立ち居振る舞いや言葉遣い
これは、個人の身体に直接的に結びついた資本です。例えば、育った家庭環境で培われた洗練された言葉遣いやマナー、あるいは特定のスポーツで培われた身体の動かし方などがこれにあたります。これらは一朝一夕には身につかず、長い時間をかけた「身体的投資」によって獲得されるものです。
客体化された文化資本:書籍、美術品、楽器など
これは、モノの形で所有できる文化的な財産を指します。自宅に大量の書籍がある環境、幼少期からピアノやヴァイオリンに触れる機会、あるいは家に飾られた絵画などです。こうしたモノに日常的に触れることで、それらを理解し、評価するための特定の感性や知識が、自然とハビトゥスの一部として形成されていきます。
制度化された文化資本:学歴や資格
これは、学校制度などによって保証された文化資本の形態です。特定の大学の卒業証書や専門的な資格などが該当します。これは社会的に価値が公認されており、所有者を客観的に位置づける機能を持ちます。どのような教育課程を経てきたかは、その人の思考様式や価値判断の枠組み、すなわちハビトゥスの形成に大きな影響を与えます。
これらの文化資本が豊富な環境で育つと、その環境に適したハビトゥスが形成されます。逆に、異なる環境で育った場合も、またその環境に応じた別のハビトゥスが形成されるのです。つまり、私たちの「好み」とは、こうした資本の分布構造の中で、無意識のうちに獲得した行動様式と考えることができます。
なぜ私たちは他人の「好み」を評価してしまうのか
ハビトゥスの問題は、それが単なる個人の傾向に留まらない点にあります。私たちは、自分自身が持つハビトゥスを、暗黙のうちに「普遍的で正統なもの」とみなしがちです。そして、その基準に合わない他者のハビトゥスに遭遇したとき、「洗練されていない」「品がない」といった評価を下してしまう傾向があります。
例えば、高級フレンチレストランでの立ち居振る舞いを自然にこなせるハビトゥスを持つ人は、そうでない人を見て「マナーがなっていない」と感じるかもしれません。しかし、その「マナー」自体が、特定の社会階層で共有される文化資本を前提とした様式に過ぎない、という側面があります。
このように、ある特定のハビトゥスを正統なものとして、他のハビトゥスを劣ったものとして位置づける力学を、ブルデューは「象徴的暴力」と呼びました。これは物理的な強制力を伴いません。しかし、価値観や文化の優劣を無意識に提示することによって、他者に影響を与える、見えにくい構造と指摘されています。あなたの「センスが良い」という感覚が、意図せず他者への影響力として機能している可能性はないでしょうか。
ハビトゥスの影響と向き合うために
ここまで、ハビトゥスがいかに私たちの選択を社会的に規定しているかを解説してきました。では、私たちはこの見えざる影響と、どのように向き合えばよいのでしょうか。それは、ハビトゥスを消し去ることではありません。むしろ、その存在を自覚し、客観視することから始めるのが有効です。
第一に、自身のハビトゥスを客観視することが考えられます。自分が「当たり前」だと思っている好みや価値判断が、どのような家庭環境、教育、友人関係によって形成されてきたのかを冷静に分析してみてはいかがでしょうか。これは、当メディアが提案する「人生のポートフォリオ思考」における、自己資産の棚卸しにも通じる作業です。
第二に、価値判断を一旦保留する習慣を持つことが有効です。自分の理解を超えた他者の「好み」に触れたとき、即座に評価を下すのではなく、「なぜこの人はこれを好むのだろうか」「その背景にはどのような文化資本や生活環境があるのだろうか」と、問いを立てる姿勢が求められます。
第三に、意図的に異なるハビトゥスが機能する「場」に身を置いてみることです。普段自分が接しないようなコミュニティや文化に触れることで、自身のハビトゥスが絶対的なものではなく、数ある様式の一つに過ぎないことを体感する機会となるでしょう。これは、社会的な枠組みを相対化し、新たな創造性を育むきっかけにもなり得ます。
まとめ
私たちの「好み」や「センス」は、決して真空状態で生まれる純粋な個性ではありません。それは、私たちが生きてきた社会的な環境や、そこで流通する文化資本によって形成された、身体に刻み込まれたシステム「ハビトゥス」の現れです。
この構造を理解することは、自分自身を否定することとは異なります。むしろ、自分という存在をより深く、社会的な文脈の中で理解するための重要な視点を提供してくれます。自分の価値観が絶対ではないと知ることは、他者の多様な生き方や選択に対して、より寛容な態度を育むための第一歩となるでしょう。
このメディアが探求するテーマは、こうした社会的な構造を解明し、その上で私たちがどうすればより自由に、そして創造的に生きることができるのかという「解法」を見出すことです。ハビトゥスの影響を自覚することは、社会的に形成された欲求と向き合い、自分自身の価値基準で人生を再構築していくための、確かな出発点となるでしょう。









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