『火垂るの墓』の物語が終盤に差しかかる頃、私たちの心を絶望の淵に突き落とす、短く、しかし決定的な場面があります。衰弱しきった節子を背負い、最後の望みを託して駆け込んだ病院。しかし、そこに待っていたのは、医師からの「栄養失調ですね」「滋養をつけてあげることですな」という、あまりにも素っ気ない言葉でした。
多くの観客が、「なぜあの医者はあんなに冷たいのか」「見殺しにしたも同然だ」と、憤りや無力感を覚えたのではないでしょうか。
しかし、彼の態度を単なる「個人の非情さ」で片付けてしまうと、この物語が描こうとした、より深く、構造的な悲劇を見誤ることになります。彼の姿は、戦争末期の日本社会そのものが、静かに機能不全に陥っていたことの、悲しい証人だったのかもしれません。
医学的見地から見た「手の施しようがない」現実
まず、医師の専門的な視点から状況を分析してみましょう。彼が診察した節子は、単なる栄養失調ではなかった可能性があります。不衛生な防空壕での生活によって免疫力は著しく低下し、何らかの感染症、例えば急性腸炎などを併発していたことは想像に難くありません。
抗生物質も、栄養を直接補給する点滴もない戦時下の医療現場において、この状態は「医学的に手の施しようがない」ことを意味します。医師の「滋養をつけて」という言葉は、直接的な治療法が存在しないことの婉曲な表現であり、事実上、医学的には手の尽くしようがない状態だったと解釈できます。彼の素っ気なさは、感情の欠如ではなく、厳しい医学的判断に基づいていた可能性が考えられます。
医師の内面に存在した三つの心理
では、彼の内面はどのような状態だったのでしょうか。彼の態度は、以下の三つの要因が複合的に絡み合った結果として理解することができます。
非情なまでのプロ意識(トリアージ)
一つ目は、プロフェッショナルとしての非情な判断です。助かる見込みがないと判断した患者に対し、無責任な希望を持たせることはしません。限られた医療資源を、助かる可能性のある他の患者に集中させるべきだという、いわゆる「トリアージ(命の選別)」の発想が根底にあったのかもしれません。
圧倒的な無力感からくる「諦め」
二つ目は、人間としての無力感です。目の前で失われていく命に対して何もできないという状況が続けば、感情は麻痺していきます。心をこれ以上痛めないための防衛機制として、意識的あるいは無意識的に、患者と距離を置く態度をとっていた可能性も否定できません。
極度の多忙による「無関心」
三つ目は、多忙さがもたらす無関心です。連日運び込まれる数えきれない患者を前にして、一人ひとりに丁寧に対応することは物理的に不可能だったでしょう。その結果、彼の対応は、個々の患者への深い配慮を欠いた「流れ作業」のように見えてしまったと考えられます。
これら三つの心理は、個別に存在するのではなく、診察の瞬間に同時に彼の判断を形成していたと推察されます。
医師個人が背負った「社会の負のスパイラル」
そして、この医師の姿こそ、戦争末期の日本社会そのものの縮図と見ることができます。
リソースの枯渇(薬・食料がない)が、システムの機能不全(治療ができない、配給が滞る)を招き、それが現場の人間の精神的疲弊(医師の無力感、親戚の女性の打算)を生み出す。
この絶望的な負のスパイラルが、社会のあらゆる場所で発生していました。医師は、その社会の矛盾と絶望のすべてが流れ着く、最前線に立たされた一人の人間に過ぎなかったのです。
まとめ
こうして見てくると、医師個人に「なぜ助けなかったのか」と責任を問うことが、必ずしも的を射ていないことが分かります。彼もまた、巨大な社会のうねりに翻弄された、名もなき一人だったのです。
では、誰が節子を死なせたのか。特定の犯人がいるとすれば、それは個人ではなく、社会全体を内側から蝕み、崩壊させていく「戦争」そのものです。
医師のあの冷たい一言は、彼個人の声ではありませんでした。それは、あらゆる社会システムが機能不全に陥り、人々が心を麻痺させなければ生きていけなかった、あの時代そのものの、静かで、絶望的な声だったのかもしれません。









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