多くのドラマーが直面する課題の一つに、「練習では問題なかった手順が、本番の高速なテンポでは対応できない」という状況が挙げられます。特定のフレーズに対し、特定の手順しか想起できず、他の選択肢が存在しない。これは、思考の柔軟性が失われている状態とも考えられます。
この記事では、ドラムにおけるフレーズと手順の関係性を一度分離し、自在に再構築するための「手順変換」という思考法と、その具体的な訓練方法について解説します。
本稿で紹介する訓練は、単なる技術練習に留まりません。高速な演奏環境下で最適な判断を瞬時に下すための、思考のプロセスを訓練するアプローチです。この訓練を通じて、あらゆるフレーズに対し、自身の得意な手順を柔軟に適用する高度な応用力を獲得することが期待できます。
当メディアでは、ドラム演奏を自己表現のための重要な活動と位置づけています。本稿の内容が、あなたの表現における自由度を高める一助となれば幸いです。
フレーズと手順を分離する思考
ドラム演奏において、私たちは無意識のうちに「このフレーズはこの手順で叩く」というパターンを形成しています。しかし、この結びつきが固定化されると、応用力の低下を招く可能性があります。例えば、楽曲のBPMがわずかに上昇しただけで、通常の手順では腕の動きが追いつかなくなる、といった事態が発生します。
この課題に対処する鍵は、フレーズ(音符の配列)と手順(どの手で叩くか)を、それぞれ独立した要素として捉え直す思考にあります。
手順の固定化がもたらす制約
手順が固定化されると、いくつかの制約が生じる可能性があります。
第一に、身体的な制約です。シングルストローク(RLRL)は基本的ですが、極端な高速演奏では筋肉への負荷が高まり、動作の正確性が損なわれやすくなります。特に、タム間の移動を伴うフィルインなどでは、移動距離が長い方の腕への負担が大きくなる傾向があります。
第二に、音楽表現上の制約です。手順によって、発音される音のニュアンスやアクセントの位置は微妙に変化します。常に同じ手順に依存していると、表現の選択肢も限定される可能性があります。
これらの制約は、手順の選択肢を増やすことで、対処の道筋が見えてきます。
「手順のポートフォリオ」という発想
当メディアでは、人生を構成する資産を分散させる「ポートフォリオ思考」を提唱していますが、この考え方はドラムの手順にも応用が可能です。つまり、様々な特性を持つ手順を「ポートフォリオ」として備え、状況に応じて最適なものを引き出す、というアプローチです。
ここでは、基本となる3つのルーディメンツを、それぞれ特性の異なる「手順資産」として捉えてみます。
- シングルストローク (RLRL): 最も基本的で直感的な手順。安定性が高い一方で、高速化には物理的な制約が伴います。
- ダブルストローク (RRLL): 片手で2打を叩くため、腕の移動を最小化し、高速演奏への対応力を高めます。身体的負荷の軽減にも繋がります。
- パラディドル (RLRR LRLL): シングルとダブルを組み合わせた応用的な手順。アクセントの配置に自由度があり、リズミカルな表現に適しています。
これらの手順を自在に切り替える能力こそが、「手順変換」能力の中核をなすものです。
手順の選択肢を増やすための具体的な訓練
ここからは、手順変換の能力を養うための具体的な訓練方法を紹介します。訓練の際はメトロノームを使用し、BPM60程度のゆっくりとしたテンポから始めることを推奨します。重要なのは速度ではなく、思考を伴った正確な動作の反復です。
4つの音符を3つの手順で叩き分ける
はじめに、同一の「4つの16分音符」というフレーズを、3つの異なる手順で叩き分ける訓練を行います。スネアドラムや練習パッドの上で試みます。
1. シングルストローク
R L R L
2. ダブルストローク
R R L L
3. パラディドル(前半部分)
R L R R
これら3つの手順を、頭の中で明確に意識しながら、一つずつ正確に演奏します。音が均一になっているか、リズムが安定しているかを確認しながら、各手順を数分間ずつ繰り返すのが効果的です。
手順を連続して切り替える
次の段階として、1小節ごとに手順を切り替える訓練に移ります。これにより、フレーズと思考を分離する思考プロセスが直接的に鍛えられます。
以下に訓練の一例を示します。
(1拍目) R L R L | (2拍目) R R L L | (3拍目) R L R R | (4拍目) L R L L
4拍目にパラディドルの後半部分(手順を逆にした形)を用いると、より実践的な訓練となります。この訓練の目的は、手順の切り替えを滑らかに行うことです。最初は手順の変わり目で思考が追いつかなくなったり、動きが不自然になったりするかもしれません。しかし、反復することで脳がパターンを認識し、スムーズに切り替えられるようになります。これが「手順変換」の基礎的な能力を養う重要なプロセスです。
既存のフレーズに応用する
基礎的な切り替えに慣れたら、実際のフィルインに応用することを検討します。例えば、以下のような8分音符のタム移動フレーズを考えます。
スネア → ハイタム → ロータム → フロアタム
このフレーズを、まずは基本のシングルストローク(R L R L)で演奏します。次に、同じフレーズをダブルストローク(R R L L)で演奏してみます。そうすると、腕の移動が減少し、より少ない身体的負荷で演奏できる感覚が得られる可能性があります。
このように、馴染みのあるフレーズに対して意図的に異なる手順を適用する訓練を積むことで、実際の演奏中に「この速度であれば、ダブルストロークを組み込む方が合理的だ」といった戦略的な判断が瞬時にできるようになります。
「手順変換」がもたらす演奏への効果
この「手順変換」の訓練を継続することで、あなたのドラム演奏における選択肢は大きく広がることでしょう。
高速な楽曲のフィルインで、これまで対応が難しいと感じていたフレーズに直面しても、落ち着いて対処しやすくなります。あなたの思考の中には複数の手順ポートフォリオが存在し、その中から最も合理的で音楽的な手順を瞬時に選択し、実行する能力が向上していると考えられます。
これは、単に演奏可能なフレーズが増えるということ以上の意味を持ちます。それは、演奏における「思考の柔軟性」を獲得することに繋がります。フレーズという「課題」に対し、手順という「解決策」を複数持ち、最適解を導き出す能力。この能力は、音楽的な表現力を深め、ライブやセッションでの精神的な安定に寄与する可能性があります。
ドラムの技術向上とは、運動能力の向上であると同時に、思考の枠組みを拡張していく知的な探求でもあるのです。
まとめ
本稿では、高速演奏への対応力を高めるための「手順変換」という思考法について解説しました。
- 思考の分離: フレーズ(音符の配列)と手順(叩き方)を分離して考えることで、応用力が生まれる可能性があります。
- 手順のポートフォリオ: シングル、ダブル、パラディドルといった手順を、状況に応じて使い分けるという考え方があります。
- 具体的な訓練: 同じ4音符を異なる手順で叩き分ける訓練は、思考のプロセスを鍛える上で効果的な方法の一つです。
手順の固定化から脱却し、思考の柔軟性を手に入れること。それは、ドラム演奏における制約からの解放であり、より自由な自己表現への扉を開く鍵となり得ます。この地道な訓練が、あなたの音楽表現の可能性を広げる一助となることを願っています。









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