電子ドラムのシンバル系の音に、どこか納得がいかない。
タムもキックも、ある程度十分だと思える。スネアも悪くない。ただシンバル系だけが、叩き込むほどに違う。硬い、と感じる。連打したときに、金属が暴れる感じが返ってこない。そして、もっと上のモジュールにすれば解決するのではないか、と考え始める。
先に結論を書きます。上位機種に買い替えても、この点は解決しません。
理由は技術ではないからです。私はローランド社のヘビーユーザーですが、恐らくローランド社はこの問題を知っていて、さらに解決方法も知っていて、それでも解かない選択をしています。この記事が問いたいのは、なぜ解かないのか、です。
シンバル系だけが、叩くたびに別の楽器になっている
なぜシンバル系だけが硬く感じるのか。答えは、シンバル系だけが前の一撃を引きずる楽器だからです。
タムやキックは、膜が張ってあります。縁が固定されているので、振動の条件が毎回同じです。同じ場所を同じ強さで叩けば、ほぼ同じ波形が出ます。だからサンプリングと相性がいい。録っておいた音を鳴らせば、それでほぼ正解になります。
シンバル系は違います。金属の板が、中央の一点でだけ支えられている。縁は自由に動けます。どの振動の形が立ち上がるかが、毎回変わる。
ハイハットはさらに複雑です。2枚の板が触れ合いながら振動するので、上下の距離によって結び付き方が変わります。足の圧力と打撃が同時に効いていて、動く条件が2つある。シンバル系の中でも、最も予測しにくい部類です。
2発目は、1発目の残りが乗っている板を叩いている
決定的なのは、連打したときです。
生のシンバルを2回続けて叩くと、2発目のスティックが触れるのは、1発目の振動がまだ残っている板です。前の一撃が、次の音の出発点を変えている。同じ強さで叩いても、同じ音にはなりません。
チャイナシンバルでこれが顕著になります。反り返った形状のせいで、板全体が予測しにくい暴れ方をする。ジャズのライドの繊細さとは逆の意味で、シンバルの中で最も状態に依存します。
つまりシンバル系の音は、その一撃だけで決まっていません。直前に何が起きたかを、板が覚えている。
ローランドの解は、変化を演じることだった
この問題に対して、ローランドが採った方法があります。
同じパーツに複数のサンプルを用意し、叩くたびに切り替える。連打しても同じ波形が並ばないようにする仕組みです。ローランドはフラッグシップの音源について、マルチレイヤーのサンプル再生とラウンドロビンのランダマイゼーションにより、機関銃のような不自然さのない音を実現していると説明しています。
聴感上、これはよく効きます。同じ音が並ぶあの機械的な感じは、確かに消えます。
ただし、それは叩いたから変わったのではない
構造を見ると、別のことが起きています。
用意された複数の音から、ランダムに一つを選んでいるだけです。前の一撃で板がどう振動しているかを、システムは持っていません。だから、叩いたから変わったのではなく、叩くたびに変わっているだけです。
言い換えると、因果が逆向きです。生のシンバルは、前の一撃の結果として次の音が変わる。ラウンドロビンは、次の音をあらかじめ何種類か持っておいて、順不同で出す。
結果として似た印象は作れますが、原理としては別のものです。奏者が2発目に何かをしたことが、音に反映される経路が存在しません。
解像度を上げても、この壁には届かない
近年のデジタル接続のパッドは、打点の位置とベロシティを細かく検出します。センサーの精度は上がり続けています。
ただ、それは全部、一撃の中の情報です。どこを、どのくらいの強さで叩いたか。時間をまたいで状態を持ち越す話ではありません。
解像度の競争は、この壁の手前で行われています。数字を上げれば上げるほど、上げても届かない場所が明確になっていきます。
解く方法は存在する。ただし値段がつかない
ここからが本題です。
この問題を解く方法は、原理的にはわかっています。サンプルを鳴らすのをやめて、板の振動そのものを計算する。物理モデリングと呼ばれる方法です。板がいま、どう振動しているかを常に保持し、次の打撃をその状態に加算する。そうすれば、前の一撃が次の音を変えるという因果が、そのまま実装できます。
ここからは仮説です。この計算量は、サンプルを再生するのとは桁が違います。シンバル1枚を実時間で計算するのに要る演算能力は、現行のモジュールに載っているものとは比較になりません。
仮にそれを積んだモジュールを作れば、価格は50万円を超えるだろうと考えています。この数字に出典はありません。現行のフラッグシップの実売が30万円前後であることからの推定です。
そして、恐らく50万円のドラムモジュールを買う人は、ほとんどいません。
ローランドは、音で値段をつけることを既にやめている
この推測を裏づける事実があります。
ローランドは現在、V71、V51、V31という3つの音源モジュールを併売しています。V71が2024年秋、V51とV31が2025年10月の発売です。
この3機種は、同じサウンドエンジンを積んでいます。プリセットのキットも同じです。米国の販売店Kraft Musicは、V31とV51がフラッグシップのV71とまったく同じサウンドエンジンと同じプリセットキットを持ち、違いはフロントパネルと接続オプションだけだと説明しています。
エフェクトの仕様も一致します。3機種とも、レイヤーごとのトランジェントとイコライザー、パッドごとのイコライザーとコンプレッサー、オーバーヘッドマイクシミュレーター、ルームとリバーブとキットレゾナンス、4系統のバスエフェクト、マスターコンプレッサーとマスターイコライザー。並べて比べても、差がありません。
では何が違うのか。ダイレクトアウトの数です。V71が8系統、V51が2系統、V31はマスターのみ。あとは操作パネルとトリガー入力の数です。
つまりローランドは、同じ音を3つの価格で売っています。音では差をつけていない。端子と操作性で値段を分けています。
この判断は、上位機種を買う理由から音を外した
これは、企業として重い判断だと思います。
上位機種が「いい音がする」という理由で売れるなら、それが一番わかりやすい商売です。にもかかわらず、下位機種にも同じ音を積んだ。10万円台のモジュールを買った人も、30万円のモジュールを買った人と同じ音で叩けるようになった。
裏を返すと、音で差をつけられなくなったとも言えます。ただ、その差を作る余地はありました。下位機種のサンプルを間引き、レイヤーを減らし、ラウンドロビンの数を削る。技術的には簡単で、上位機種を買う理由が一つ増えます。
最高を捨てて、届く範囲を選んでいる
構造として、こう整理できます。
ローランドは非決定性を再現できないことを知っています。物理モデリングという出口があることも知っているでしょう。それでもラウンドロビンに留まっているのは、技術で負けたからではなく、50万円のモジュールが誰の手にも届かないからです。
そして同じ判断が、3機種の設計にも現れています。音を上位機種の特権にすれば、単価は上げられた。しかしそうすると、下位機種を買う人は劣った音を掴まされます。だから音は据え置いて、端子で分けた。
どちらの判断も、向いている方向は同じです。最高の音を一部の人に届けるのではなく、十分な音を全員に届ける。
私のシンバル系は、12枚ともアナログである
自分の構成を書きます。
シンバル系を12枚使っています。アナログのクラッシュ系のCY-16R-Tが7枚、CY-14R-Tが3枚、CY-12C-Tが2枚。加えてデジタル接続のパッドは、ライドの1枚だけです。
なぜかというと、デジタルのクラッシュシンバルが存在しないからです。買えないので、選びようがありません。
これは私の設計思想ではなく、ローランドの単価判断が私の部屋に現れた形です。デジタルスネアやデジタルハイハットには高い単価をつけられます。1枚しか使わないからです。クラッシュは複数枚使う前提のパーツで、しかも消耗品の位置にある。同じ値段はつけられません。だから作られない。
12枚がアナログなのは、私が妥協したからではなく、市場がそこに値段をつけられなかったからです。
デジタルのライドをクラッシュにしようとして、失敗した
一度、試したことがあります。
せっかく高精度のデジタルライドがあるのだから、これをクラッシュとしても使えないか、と考えました。18インチのCY-18DRです。ボウとエッジとベルを分離して検出する、贅沢なパッドです。
結果は、明確な失敗でした。板が重く、厚い。クラッシュに要る、叩いた瞬間に散って返ってくる速さがありません。ボウの打点を細かく読む設計は、ライドとしてのアタックを定義するためのもので、派手に暴れさせる用途には向いていない。
デジタルの解像度が効くのは、ライドの打点検出とベルの分離です。クラッシュに求められるのは、叩いた瞬間の派手さです。要求が逆を向いていました。
この失敗が教えてくれたのは、高い精度は万能ではないということです。精度は、何を測るかを決めた後にしか意味を持ちません。そして何を測るかは、その楽器がいくらで売れるかによって決まっている。
Q&A
Q:電子ドラムのシンバル系の音が硬いのですが、上位機種に買い替えれば解決しますか。
A:この点に関しては、解決しない可能性が高いと考えています。ローランドの現行モジュールは、V71、V51、V31の3機種とも同じサウンドエンジンとプリセットを積んでおり、違いは出力端子の数と操作パネルです。シンバル系の非決定性は、価格帯ではなく音源の方式に由来するため、上位機種でも同じ方式が使われている限り変わりません。買い替えを検討する理由は、音ではなく端子の数や拡張性に置くのが妥当だと思われます。
Q:なぜ電子ドラムはシンバル系だけ不自然に感じるのですか。
A:シンバル系だけが、前の一撃の状態を持ち越す楽器だからです。タムやキックは膜の縁が固定されているので、同じ叩き方をすればほぼ同じ音が出ます。シンバル系は金属の板の縁が自由なため、2発目を叩くときには1発目の振動が残っている状態から始まります。サンプルを鳴らす方式では、この持ち越しを表現する経路がありません。
Q:デジタルのクラッシュシンバルは発売されないのですか。
A:現時点では存在しません。理由は技術ではなく単価にあると考えられます。スネアやハイハットは1枚しか使わないため高い単価を設定できますが、クラッシュは複数枚使う消耗品の位置にあり、同じ価格帯では成立しにくいためです。技術的に不可能なのではなく、値段がつかないというのが実情に近いと思われます。
この判断の形は、楽器の外にもある
ここまでシンバル系の話をしてきましたが、構造は楽器に限りません。
ある分野の進化が止まって見えるとき、止めているのは技術ではないことがあります。解き方はわかっていて、解いた製品も作れて、ただ誰も買えない値段になる。だから作られない。外から見ると技術の限界に見えますが、実際には値段の限界です。
この見分けは、お金の使い方に効きます。技術の限界だと思っている間は、上位機種を買えば解決すると考えます。値段の限界だと知っていれば、上位機種を買っても同じだと分かる。実際、V71とV31の価格差は15万円以上ありますが、音は同じです。この15万円が何を買うためのものかを知らずに払うか、知って払うかで、同じ支出の意味が変わります。
そして、ここに救いがあると思っています。ローランドが最高の音を50万円で売らなかったから、10万円台のモジュールでも同じ音が鳴っています。届く範囲を選ぶという判断は、誰かの取り分を減らしたのではなく、増やしました。
自分の手元にある道具が、思ったほどの性能を出していないとき。それは技術者が力を尽くさなかったのではなく、あなたに届く値段に収めた結果かもしれません。
まとめ
電子ドラムのシンバル系が生と違うのは、ローランドの技術力が足りないからではありません。
生のシンバルは、前の一撃の振動が残っている板を次に叩くという構造を持っています。これを再現するには、板の振動を計算し続ける方式が要ります。原理としては可能ですが、価格が現実的な範囲を超えると考えられます。
ローランドはラウンドロビンという現実解を選びました。そして同じ判断が、V71、V51、V31の3機種に同じ音を積むという設計にも現れています。音で値段をつけることを、既にやめている。
上位機種への買い替えでシンバル系の音が変わることを期待しているなら、その支出は別の用途に回すことを検討してみてはいかがでしょうか。変わるのは端子の数と操作性であって、音ではありません。







