20代の頃、土日も全力で働いていた時期が、本当に必要だったのか。そう振り返ることがあります。数字は伸びたので無駄ではなかったはずですが、あのときもっと空白を取っていれば、結果はかえって良くなっていたのではないか、とも考えることがあります。
概ねの結論としては、20代の働き方は「量」だと思います。しかし、グラデーションがあるようにも思います。
この疑問は、働く時間を増やすべきか減らす(空ける)べきか、という誰もが抱える問いに行き着きます。この記事は、その問いに1つの判断基準を渡します。
それはバランスの問題ではなく、フェーズの問題
多くの人は、この問いをバランスの問題として捉えます。仕事と休息の最適な配分を探す問題だ、という捉え方です。
けれども、これはバランスの問題ではなく、フェーズの問題だと考えています。「バランスを取る」という発想そのものが、ここでの落とし穴です。最適な配分などなく、いま自分がどの局面にいるかを見極めることに、答えがあります。
量が効く局面と空白が効く局面は、地続きではなく別物
労働には質の異なる二つの局面があり、両者は地続きの調整ではなく、質的に別物です。量が効く局面では振り切って詰め込み、空白が効く局面では振り切って空ける。半々に混ぜることが、最も効きません。
量が効く局面では、投下した時間がそのまま成果になる
1つは、量が効く局面です。投下した時間がほぼそのまま成果に変わり、働いた分だけ数字が伸びます。仕入れた知識はそのまま使え、やるほど引き出しが増えるこの局面では、時間を入れること自体が正解になります。
空白が効く局面では、机に向かわない時間にこそ良いものが出ます
もう1つは、空白が効く局面です。投下する時間を増やしても成果が頭打ちになり、むしろ詰め込むほど質が落ちます。同じことの繰り返しに感じられ、出てくるものが過去の焼き直しに見えてきます。
この局面の決定的な特徴は、机に向かっていない時間にこそ良いものが出てくることです。風呂や散歩、何でもない移動の途中に、座って考えていたときより良い着想が訪れます。
いまどちらの局面かは、気分ではなく限界生産性の動きで判定できる
どちらの局面にいるかは、気分では判定できません。判定の手がかりは1つで、追加で投下した時間が生む成果が、落ち始めたかどうかです。
両方の局面とも、主観では「もっとやれる気がする」と「もうやりたくない気がする」が混ざって現れます。意欲の有無で測ると、判断を誤りやすくなります。
経済学の収穫逓減が、そのまま当てはまる
経済学に、収穫逓減の法則という考え方があります。ある投入を増やしていくと、追加した1単位から得られる成果が、ある点を境にだんだん小さくなっていく、という法則です。消費の側で知られる限界効用逓減の法則、つまり1杯目のビールが最もおいしく杯を重ねるほど満足が薄れていく感覚の、生産の側の姉妹版にあたります。
この法則は、自分の労働時間にもそのまま当てはめて読むことができます。量が効く局面では、1時間を追加しても、そこから得られる成果が減りません。空白が効く局面では、1時間を追加するほど得られる成果が小さくなり、ある点を超えると、追加の投下はほとんどリターンを生まなくなります。
「最近、同じ1時間の手応えが落ちていないか」を見る
実際の判定は、シンプルな問いに置き換えられます。最近、投下時間を増やしたときの手応えが、以前より落ちていないか。同じ1時間が昔ほど成果を生まなくなっていれば、局面が移ったサインだと考えられます。
財務に近い仕事をしている方なら、限界費用の感覚で掴めるはずです。売上をもう1単位伸ばすためのコストが、ある地点から急に重くなる。あの手応えを、自分の労働時間に置き換えればいいのです。
空白が効く局面で量を押し続けると、成果は伸びるどころか劣化する
局面の移行を見逃し、空白が効く局面で量のやり方を押し続けると、成果が伸び悩むだけでは済みません。そこからは、劣化が始まります。
思考がパターン化し、消耗が重なり、やがて体に現れる
まず、思考がパターン化します。新しい結びつきが生まれにくくなり、出てくるものが過去の成功例の再生産に寄っていきます。
次に、消耗が重なります。リターンの出ない投下を続けることは、意欲を少しずつ削っていきます。そして回復の追いつかない稼働は、最終的に体の不調として現れることもあります。
正しく空白を取ると、落ちた生産性は戻ってくる
逆に、空白が効く局面で正しく空白を取ると、落ちていた成果の出方が戻ってきます。空けた時間が、頭の中で素材を熟成させ、次の跳躍の助走になるからです。
ここが、この局面の最も直感に反する点です。空白として空けた時間は、サボりではなく、次に来る量の局面への投資です。いま沈んで空白を取っておくことが、次に量が効く局面が来たときに跳ねるための原資になります。
委譲は業務の分担ではなく、量が効く局面を作り直す装置
ここまでだと、量の局面が終われば、あとは空白を取るだけのように聞こえます。けれども、もう1段あります。委譲は、自分を再び量が効く局面の入り口に立たせる装置になります。
ある領域で量の局面をやり切り、一定の閾値を超えると、その仕事は定型化できるようになります。定型化できれば、人に渡せる余地が生まれます。渡せた分だけ、自分は次の新しい領域へ移れます。
このサイクルが回っている人は、個別の領域では空白の局面に達していても、全体としては常に新しい量の局面の入り口に立ち続けます。1つの領域に留まれば成果の逓減は避けられませんが、超えた領域を手放して新しい領域に移れば、落ちた生産性を高い水準から始め直せます。担当を増やすことや人に仕事を渡すことは、単なる分担ではなく、自分が量の効く場所に居続けるための更新装置だと言えます。
同じ人間の中で、量が効く仕事と空白が効く仕事は同居する
最後に、最も実務的な切り分けです。1人の人間の中に、量が効く活動と空白が効く活動が同居しています。この二つを混同すると、判断を誤ります。
手を動かす仕事は量が効き、判断や設計は空白が効く
手を動かす作業、定型化できる業務、新しい領域の立ち上げは、量が効きます。時間を入れれば前に進むので、ここは詰め込んで構いません。
一方、判断の質、構造の設計、何を残し何を手放すかの見極め、そして思考や発信のように自分の中で熟成させるしかないものは、空白が効きます。これらは時間を投下しても直線的には伸びず、空白の中で熟れていきます。役職が上がるほど後者の比重が増し、手を動かす量より判断の質が成果を決める場所へ移っていきます。
「何かしていないと不安」は、空白が効く仕事をしている証かもしれない
「何かしていないと落ち着かない」という感覚は、多くの場合、前者の物差しで後者を測っているときに生まれます。手を動かす作業には目に見える達成感がありますが、判断や設計はぼんやりしている空白に進むため、やっている実感が伴いません。実感のないものを「やっていない」と錯覚し、不安になるのです。
その不安は、サボっているサインではないかもしれません。むしろ、空白が効く仕事をしているサインだと、読み替えることができます。
増やすべきは量、空けるべきは空白
増やすべきなのは、量が効く活動です。空けるべきなのは、空白が効く活動です。問われているのはバランスの配分ではなく、いま自分がどちらの局面にいるかの見極めです。
土日も全力で働いていたあの時期に戻れるなら、私はおそらく、もう少し空白を信じます。手応えが落ち始めたサインに気づいたとき、空けることを1つの選択肢として検討してみてはいかがでしょうか。







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