朝、まだ何もしていないのに頭が重い。前の日にやったのは、翌週の段取りを組んだことと、いくつかの心配ごとについて「こうなったらこうする」を考えたことだけです。体はどこも動かしていないのに、疲れだけが翌朝まで残っている。
よく言われるのは、だいたいこの3つです。考えすぎなので、考える時間を5分に区切る。頭が混乱しているので、紙に書き出して整理する。いったん離れて気分転換をする。どれも一度は試したことがある方が多いと思います。
この記事が立てる問いは違います。書き出したはずのことが、なぜまた頭に戻ってくるのでしょうか。
疲れているのは、考えた量ではなく、決着のついていない件数である
先のことを考えると疲れる、と感じるとき、私たちは原因を「量」で説明しがちです。長く考えた、たくさん考えた、だから疲れた。この説明は自然に聞こえるので、たいていそこで止まります。
けれども、量では説明のつかない場面があります。1時間かけて資料を作った日より、10分間ある心配ごとについて考えた日のほうが、疲れが残ることがある。考えた時間は6分の1なのに、翌朝の重さだけが逆転しています。
ここで見方を変えてみます。疲労に効いているのが時間ではなく、答えの出ないまま開いている事柄の本数だとしたら、どうでしょうか。1時間の資料作りは終われば閉じますが、10分の心配ごとは閉じないまま残ります。
明日の段取りを順に並べるだけの作業は、案外疲れない
自分の一日を振り返ると、未来について考える作業は、性質の違う2つに分かれます。
ひとつは、決まっていることを時間軸に置いていく作業です。「9時に起きて、10時にこの原稿を仕上げて、午後は打ち合わせ」。やることはもう決まっていて、順番と所要時間を割り当てているだけなので、慣れていればこれは単純作業に近づきます。
もうひとつは、まだ決まっていないことについて、起こりうる場合を自分で作り出す作業です。「相手がこう出たらどうするか」「そのとき何を失うか」「防ぎきれなかったら次はどうするか」。まだ存在しない場面を、自分で生成して評価している。
この2つは、同じ「先のことを考える」という言葉でひとくくりにされています。けれども、疲労の残り方は明らかに違います。段取りを並べただけの日は案外すっきり眠れますが、読めない相手のことを考えた日は、寝ても抜けません。
脳は、痛みが必ず来ると分かっているときより、来るかどうか読めないときに強く反応する
この差を裏づける実験があります。ロンドン大学のアーチー・デ・バーカーらが2016年に『Nature Communications』へ発表した研究です。
45人の参加者が、岩をめくるコンピューターゲームを行いました。岩の下にはヘビがいることがあり、いた場合には手に軽い電気刺激が与えられます。参加者はヘビがいるかどうかを毎回予想し、確率は実験中に変動していきます。
結果は直感に反するもので、もっともストレス反応が高かったのは、ヘビがいる確率が50パーセントのときでした。0パーセントのときと100パーセントのときは、どちらも最低です。つまり「絶対に刺激が来る」と分かっている状態より、「来るかどうか分からない」状態のほうが、負荷が高かったことになります。
しかも、この差は本人の申告だけではありませんでした。瞳孔の大きさと発汗にも同じ形で表れ、唾液のコルチゾールにも変化が確認されています。読めないという状態そのものが、身体を動かしていました。
ここで一点、事実と解釈を分けておきます。この研究が測ったのは実験室の電気刺激であり、翌週の段取りや仕事の心配ごとを測ったものではありません。私たちの日常の疲労に、そのまま同じ数字が当てはまるとは言えません。ここで言えるのは、脳が不確実性そのものをコストとして扱っている、という事実だけです。
先を細かく読める人ほど、ひとつの心配ごとが枝分かれして増える
ここから先は私の解釈です。学説として確立された議論ではありませんので、そのつもりで読んでください。
未確定の事柄がコストになるなら、コストの総量を決めるのは、開いている事柄の本数です。そして本数は、ひとつの心配ごとからどれだけ細かく先を読めるかによって変わります。
粗くしか読めない人は、「まあ何とかなる」で2本か3本で止まります。細かく読める人は、そこから先へ進んでしまう。ひとつの対策を立てると、その対策の副作用が見え、さらにその先まで見えるので、ひとつの心配ごとが勝手に枝分かれして増えていきます。
だとすると、この疲労は能力が足りないから起きているのではありません。むしろ逆で、精度が高いから処理する対象が自分で増えている。仕事の場面では、これは明確な強みです。読めない相手の出方を先に潰しておける人は、実際に事故を減らします。
同じ機能が、まだ決める段階にない未来へ向いたときだけ、行き先のない枝を量産します。刈り取る先がないので、生成した分だけが残る。性能の高いエンジンを、空回しさせている状態に近いと思います。
Q:考えすぎるのをやめれば、この疲れは減るのでしょうか。
A:考える総量を減らしても、あまり変わらないことが多いです。効くのは、開いたままになっている事柄を閉じることです。同じ10分でも、結論を出して閉じた10分と、結論を出さずに終わった10分では、そのあとに残るものが違います。
頭の中で「いったん保留」と思っただけでは、決着はつかない
考える量を減らすのが答えでないなら、開いている本数を減らすことになります。ここで多くの人がつまずきます。
私たちは、決められないことに出会うと「いまは保留にしよう」と考え、これで手放したつもりになります。けれども実際には、頭の中で保留と思うだけでは、その事柄は開いたままです。保留は閉じる操作ではなく、閉じるのを先送りする操作にすぎません。
だから、決着のつかないものは夜になると戻ってきます。風呂に入っているとき、寝ようとしたとき、朝起きたとき。決着がついていないものは、決着がつくまで何度でも浮かび上がってきます。これは意志が弱いからではなく、未決のものを持ち続ける仕組みが働いているからです。
冒頭に挙げた「書き出して整理する」が効くときと効かないときがあるのは、ここに理由があります。書き出しただけでは、頭の外に文字が増えるだけで、決着はついていません。
書き出すときに、いつ考えるかを一緒に書かないと、その心配ごとは戻ってくる
では、どう書けば閉じるのか。ここにも研究があります。
E・J・マシカンポとロイ・バウマイスターが2011年に『Journal of Personality and Social Psychology』へ発表した一連の実験では、達成されていない目標が、無関係な作業の最中に割り込んでくることが確認されました。読書課題への侵入的な思考が増え、別の言葉遊び課題の成績も落ちています。
興味深いのは、その次です。参加者にその目標について具体的な計画を立ててもらうと、割り込みも成績の低下も消えました。目標そのものは、まだひとつも達成されていません。それでも、いつ何をするかが決まった時点で、割り込みは止まったのです。
ここから引き出せる実務的な形は、ひとつです。手放したい事柄を書き出すときに、いつ考えるかを一緒に書く。「相手から返事が来たら考える」「来月の数字が出たら考える」。この条件が書いてあると、それまでは持たなくていいことになります。
条件のない書き出しは、ただのリストにしかなりません。リストに載っているだけの事柄は、いつ考えればいいのかが決まっていないので、いつでも思い出してよい対象のまま残ります。
会う人の数は、そのまま決着のつかない事柄の数になる
同じ構造は、人づきあいにも表れます。
飲み会のあとに「あの言い方は大丈夫だっただろうか」「あの一言はどういう意味だったのか」と考え始める人は、ひとつの関係あたりの負荷が、他の人より高い状態にあります。関係の数が増えれば、開いたままになりうる事柄の数も、そのまま増えます。
しかも、人の意図は本質的に確定しません。仕事の心配ごとなら「来月の数字が出たら考える」と条件を書けます。「あの人が本当はどう思っていたか」には、その条件が書けない。相手が次に何か言うまで決着せず、その次が来るかも分かりません。
つまり、書き出して条件を貼るやり方が効きにくい領域です。手段が限られているぶん、入口で数を選ぶことの意味が相対的に大きくなります。
一般には、人づきあいは多いほど豊かだとされます。それは、ひとつの関係が軽く済む人を前提にした話です。1件あたりの処理が重い人にとっては、数と豊かさは比例しません。関係が安定していて、意図の読めなさが小さい相手に寄せていく。これは逃避ではなく、自分の頭の作りに合わせた設計だと考えられます。
早く決めることのコストを、正直に書いておく
ここまでの話は、決められることは早く決めて閉じる、という方向に寄っています。公平を期すために、逆側も書きます。
早く決めれば、確かに開いている本数は減ります。けれども、早すぎる決定は情報を捨てます。あと1日待てば分かったことを、待たずに決めてしまう。これは疲労と引き換えに、判断の質を落としている状態です。
もうひとつ、閉じる操作が癖になると、閉じること自体が目的になっていきます。決めなくていいものまで決めてしまい、あとから身動きが取りにくくなる。宙ぶらりんのまま持ちこたえる力は、それ自体が資産でもあります。
だから、すべてを即座に閉じるのが正しいわけではありません。閉じるべきなのは、待っても情報が増えないもの、そして自分の意思だけで決まるものです。この2つ以外は、待つほうが合理的な場合があります。
判断基準は、いま自分で決着をつけられるかどうかである
明日から使える形にすると、問いはひとつだけです。心配ごとが頭に上がってきたとき、枝を広げ始める前に、こう問います。これは、いま自分で決着をつけられるか。
答えは3つに分かれます。いま決められるなら、その場で決めて閉じてしまう。情報も判断材料も揃っているのに枝を広げ始めるのが、いちばん多い空回しです。
いま決められないなら、条件をつけて外に出します。何が起きたら考えるのかを書き添えて、そこまでは持たない。相手待ち、情報待ち、時期待ちのものは、前提が動いた瞬間に考え直しになるので、いま広げた分はほとんど捨てることになります。
そもそも問いとして早すぎるなら、その場で降ろします。変数が動くどころか、まだ考える時期ですらないものです。
この判定を精密にやろうとしないでください。判定そのものが新しい分岐になっては、本末転倒です。3つのどれかへ、粗く振り分けるだけで十分だと思います。
なお、先のことを考えると胸が苦しくなる、動悸がする、といった身体の反応が出ている場合は、この記事の範囲を超えています。そうした状態が2週間以上続いているなら、医療の領域なので、専門家に相談することを検討してみてください。
この方法は、先を読む力を落とすものではありません。落とす必要もありません。仕事の場面では、その力はそのまま強みとして働き続けます。変わるのは、どこへ向けるかだけです。
いま頭の中で開いたままになっているものは、何本ありますか。







