ネガティブなコメントを書く人の心理は、常習か一回きりかで違う。見分けるのは内容ではなく頻度である

記事のコメント欄を開くと、何が問題なのかを書いていない非難が並んでいます。反論ですらなく、ただ相手が悪いという前提だけが置かれている。読んだ人は、腹が立つより先に、何を言われたのかが分からなくて止まります。

調べると、説明はすぐ出てきます。劣等感が強い、支配したい、承認欲求、投影。どれも書いた人の性格に原因を置いていて、読むと一応は納得します。ただ、この形の心理の説明にはひとつ困ったところがあって、当たっているかどうかを確かめる方法がありません。

この記事では、説明を五つ並べます。欲求不満、恥、観客、楽しみ、そして場の伝染です。どれにも研究があり、どれも部分的にしか当たりません。そのうえで、目の前の一件がどれなのかを見分ける方法を書きます。

目次

コメント欄に並ぶのは、要求のない非難である

まず、扱うものの形をはっきりさせます。この記事が対象にするのは、批判ではありません。批判には、どこがどう問題で、どうすべきだったかが書かれています。

対象にするのは、その部分が抜けているほうです。何が起きたのかは書いていない。してほしいことも書いていない。残っているのは、こちらへの評価だけ。私自身も一度、要求が一つも書かれていない評価をもらったことがありますが、読んで最初に来たのは怒りではなく、何に答えればいいのか分からないという感触でした。

この形は、動画のコメント欄でも、記事の下でも、商品のレビューでも共通しています。だから、この形がなぜ生まれるのかを説明できれば、場所を問わず使えることになります。

説明はいくつもあり、どれも部分的にしか当たらない

先に断っておくと、これから並べる五つは、どれか一つが正解というものではありません。同じ人の中で二つ以上が同時に働いていることもありますし、場面によって主役が入れ替わることもあります。

それでも並べる価値があるのは、五つのうち二つが「その人がどういう人か」の話で、三つが「その人がいまどういう状態にいるか」の話だからです。この二種類は、こちらの対応がまるで違います。

順に見ていきます。

欲求不満が、関係のない相手に落ちる

一つ目は、いちばん古くからある説明です。

Leonard Berkowitz が1989年に Psychological Bulletin の106巻で発表した論文は、フラストレーションが自動的に攻撃を生むという古い図式を退けて、組み直しました。フラストレーションは数ある不快な経験の一つにすぎず、そこから生まれるのは負の感情である。その負の感情が怒りに変わり、攻撃への準備状態を作る。実際に行動へ出るには、そこに手がかりが要る、という形です。

この論文には、もう一つ重要な指摘があります。フラストレーションの本当の原因が危険すぎるか、手が届かない場合、攻撃はより安全な対象へそらされる。会社で言えなかった分が、名前も知らない投稿者に落ちるのは、この経路です。相手は誰でもよく、たまたま画面に出ていただけということになります。

恥を自分の中に置いておけない幼さ

二つ目は、感情の種類による違いです。June Tangney らが1992年に Journal of Personality and Social Psychology で報告した研究は、恥を感じやすい傾向と、罪悪感を感じやすい傾向を分けて測りました。恥傾向のほうは、怒りの喚起、疑い深さ、恨み、いらだち、そして他者を非難する傾向と相関しています。さらに特徴的なのは、その敵意が直接的ではなく間接的な形で出ることでした。

同じ研究者たちが1996年に同誌で発表した研究は、小学4年生から成人まで4つの世代で測っています。恥傾向は、悪意ある意図、直接・間接・置き換えの攻撃、そして自分に向く敵意と、すべての年齢層で関連しました。一方、修復のための行動や、敵意を含まない議論に関連したのは、罪悪感傾向のほうだけです。長期的な結果も、恥傾向でネガティブ、罪悪感傾向でポジティブでした。

この違いは、責める対象が違うことから来ます。罪悪感は、やったことが悪いと考えます。恥は、自分が悪いと考えます。前者は直せますが、後者は直しようがないので、外へ出すしかなくなります。

罰することには、見ている人がいる

三つ目は、書く場所が公開されていることの意味です。Jillian Jordan らが2016年に Nature の530巻で発表した研究は、自分が直接害を受けていないのに違反者を罰する行動を扱いました。そういう罰は、罰する側が利己的でないことを示すシグナルとして働きます。実験では、罰した人はより信頼され、そして実際により信頼できる振る舞いをしていました。

この論文には、見落とせない但し書きが付いています。助けるという選択肢が同時にあると、人は罰を選ばなくなり、罰のシグナルとしての価値も弱まりました。両方の選択肢があるときに強いシグナルになったのは、罰ではなく、コストを払って助けるほうです。

裏返すと、こうなります。罰を選んだということは、その人の視界に、助けるという道が入っていなかったということです。問い合わせて直してもらうという選択肢が見えていれば、そもそも書かなかった可能性がある。

楽しんでいる人は、5.6パーセントだった

四つ目は、性格特性による説明です。ここは、当たっている範囲がはっきりしています。Erin Buckels らが2014年に Personality and Individual Differences の67巻で発表した研究は、サディズム、精神病質、マキャベリズム、ナルシシズムの四つと、荒らし行動の関係を調べました。最も強く安定して関連したのはサディズムで、2つ目の研究では相関が0.52でした。かなり大きい数字です。

ただし、同じ研究の1つ目で、ネット上でいちばん楽しいのは荒らすことだ、と答えた人は全体の5.6パーセントでした。ついでに書いておくと、そもそもコメントを投稿しないと答えた人が41.3パーセントいます。

つまり、性格で説明できる層は実在しますが、その層は小さい。この5.6パーセントに向けて何を言っても、たぶん何も変わりません。楽しんでやっているからです。

残りでは、状況が特性を上回っていた

五つ目が、いちばん新しく、いちばん結果が強いものです。

Justin Cheng らが2017年の CSCW という学会で発表した研究は、CNN.com の1,650万件の投稿と、実験の両方を使いました。この研究が示したのは、荒らし行動をとるのが特殊な人だけではない、ということです。普通の人も条件が揃えば同じことをします。

決め手は予測モデルの比較でした。議論の文脈だけを使ったときの予測性能が0.74、そのユーザー個人の特性だけを使ったときが0.66。場のほうが、人より予測できたことになります。

悪い気分と、直前に見た一件で、確率はほぼ倍になった

実験の数字は、もっと具体的です。

参加者をネガティブな気分にすると、荒らし行動をとるオッズが89パーセント増えました。直前に他の人の荒らし投稿を見せると、68パーセント増えました。そして両方を揃えると、確率は35パーセントから68パーセントへ、ほぼ倍になっています。

論文はさらに、気分と議論の文脈を組み合わせたほうが、その人の過去の荒らし履歴よりも行動をよく説明できたと書いています。誰が書いたかより、いつ、どこで書いたかのほうが効いていたということです。

常習か一回きりかは、頻度で見分けられる

ここからが使える部分です。ただ、この手の話はたいてい、相手を何タイプかに分けて、あとは距離を取りましょう、で終わります。分けたところで、こちらの手が変わらないからです。

そこを変えるために、判定を一つだけにします。使うのは、内容ではなく頻度です。その相手が同じことを繰り返しているか、この一件だけかを見ます。繰り返しているなら、四つ目の層に当たる可能性が高い。この場合、こちらが何を書いても変わらないので、距離を取る以外にやることがありません。

一件だけなら、残りの四つのどれかです。そしてその四つは全部、その人がいまどういう状態にあるかの話であって、こちらが誰であるかの話ではありません。

一件だけなら、その一行はあなたについて書かれていない

ここは、気休めではなく確率の話として言えます。悪い気分だけでオッズが89パーセント、直前に読んだ一件で68パーセント動く。その二つが揃うと、同じ人が同じ記事を読んでも、書くかどうかが35パーセントから68パーセントへ変わります。動いているのは、こちらが何を書いたかではなく、相手のその日の状態と、相手がその直前に読んでいたものです。

もう一つ、時間の話があります。Cheng らの論文は、悪い気分が次の議論へ持ち越されることと、それが時間とともに薄れていくことも扱っています。つまり相手のその状態は、こちらが読み返している間にもう終わっている可能性が高い。その一行を保存して何度も開いているのは、こちら側だけです。

三つ目に、声の数の話をしておきます。Buckels らの研究では、そもそもコメントを投稿しないと答えた人が41.3パーセントいました。コメント欄に見えているのは読んだ人の全部ではなく、書くほうへ動いた一部です。何も書かずに読み終えた人の反応は、どこにも表示されません。

どの説明も、相手を見下す道具になりうる

ここで、この記事自体の弱点を書いておきます。

五つとも、集団を測った研究から出ています。恥傾向とサディズムは個人差の尺度で、相関は集団の話です。目の前の一人がどれに当たるかは、本人に聞かない限り分かりません。それなのに出典が付いているぶん、決めつけたときの見え方だけが強くなります。

私自身、あの評価を書いた人がどれに当たるのかを知りません。知らないまま、五つのどれかだろうと考えているだけです。この線を越えて診断を始めると、こちらのほうが相手の内面を勝手に決める側に回ります。

よくある疑問

Q:ネガティブなコメントを書く人は、性格が悪いのでしょうか。
A:性格で説明できる心理の層はありますが、荒らすのがいちばん楽しいと答えた人は5.6パーセントでした。残りは、気分と場の影響のほうが大きく出ています。繰り返している相手かどうかで、見当がつきます。

Q:反論したほうがいいのでしょうか。
A:繰り返している相手なら、反論はそのまま次の材料になります。一件だけの相手なら、その日の気分はもう薄れているので、返しても届く先がありません。どちらにしても返さないという結論は同じですが、理由が違うので、こちらの気の持ちようも変わります。

Q:匿名だから攻撃的になるのではないですか。
A:匿名性で説明する見方は古くからありますが、Cheng らの研究では、その人が誰かよりも、そのときどんな気分で、直前に何を読んだかのほうが予測に効いていました。匿名かどうかより、場の状態のほうが大きいという結果です。

Q:自分がそちら側に回らないためには、どうすればいいでしょうか。
A:気分が悪い日に、荒れているコメント欄を開かないことです。この二つが揃うと確率が倍になるという実験結果があるので、どちらか一方を外すだけでも変わります。

恥をかくのは、楽しんでいない側だけである

最後に、五つを並べて眺めたときに見えるものを書きます。四つ目の5.6パーセントは、楽しんでやっているので、あとで自分の書いたものを読み返しても、たぶん何も感じません。楽しんだのだから、それで完結しています。

残りの人たちは違います。悪い気分の日に、荒れた場所で、届かない形の敵意を書いて、何も解決しないまま画面を閉じる。そして、あとで自分の書いたものを読み返します。そこで恥をかくのは、楽しんでいなかった側だけで、しかも恥は、修復ではなく次の非難のほうへ人を運びます。ここが循環になっているところで、Tangney らが長期的な結果と呼んでいるのも、たぶんこのあたりのことです。

そして、こちら側にも同じ条件が当てはまります。悪い気分の日に、荒れているコメント欄を開く。この二つが揃った状態で書いたものが、翌日に読み返して恥をかく一行になります。確率を半分に戻すのに必要なのは、二つのうちどちらか一方を外すことだけで、気分は選べませんが、その日に開く場所は選べます。こちらに来た一行が、五つのうちどれだったのかを確かめる方法はありません。ただ、確率としては、楽しんでいない側から来た可能性のほうが高い。次にコメント欄を開いたとき、その一行を書いた人がその日どんな一日を過ごしていたか、想像してみるとどう見えるでしょうか。

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