J-POPという用語はJ-WAVEが作り、1988年頃から呼ばれ始めました。それ以前は、歌謡曲、フォーク、ニューミュージックと呼び分けられていました。
しかし、言葉が生まれた年と、鳴っている音が生まれた年は違います。いまのJ-POPで鳴っている形をたどると、鎌倉時代まで戻ります。
この記事では、その系譜を新しいほうから順に遡ります。モーニング娘。、東京音頭、大正期の新民謡、伊勢音頭、踊念仏。並べてみると、どの層にも同じものが入っていました。
いまのJ-POPは、表で刻んで裏でずらす形をしている
キックが1拍ずつ表に鳴り、その上でベースとギターのカッティングが裏を取ります。歌とドラムは表に置かれ、裏拍のずれはベースとホーンとギターが引き受けます。
この組み合わせには理由があります。表拍が揃っているので、裏を取れない人でも身体を乗せられます。乗っているうちに、裏が耳に入ってきます。入口を広く保ったまま、黒人音楽の語法を積める形です。
サカナクションの「新宝島」(2015年、映画『バクマン。』の主題歌)も、藤井風の「まつり」(2022年3月20日先行配信)も、この形の上に立っています。では、この形はいつ日本に入ったのでしょうか。
1999年、モーニング娘。に外部の編曲者が入った
「LOVEマシーン」(1999年)は、モーニング娘。が初めて外部の編曲者を入れた曲でした。編曲を担当したのはダンス☆マンです。
ダンス☆マンは、1970年代から80年代のダンス・クラシックスに日本語詞をつけてカバーしてきた人です。Earth, Wind & Fireの影響が、本人の活動に明示されています。あの時期のハロー!プロジェクトには、アメリカのファンクとディスコの編曲が、本人の様式として直接持ち込まれています。翌年の「恋のダンスサイト」は、第42回日本レコード大賞の編曲賞を受けました。
この曲のあたりで、黒人音楽の形が日本の大衆音楽に乗ったことがはっきり見えます。ただし、その土台になっている「皆で同じ振りを踊る」ほうは、もっと前からありました。
東京音頭は、商店街が景気づけに発注した曲だった
東京音頭の前身は、1932年の丸の内音頭です。有楽町の商店街の経営者たちが、不況を吹き飛ばす景気づけとして都会の盆踊りを企画し、ビクターに音頭の制作を依頼しました。作詞は西條八十、作曲は中山晋平です。その夏、日比谷公園の盆踊り大会で披露されました。
翌1933年7月、ビクターがこれを東京全市の市民が歌えるように改詞し、「東京音頭」と改題して全国に売り出しました。
盆踊りの定番として今も鳴っているあの曲の出発点は、商店街の販促企画でした。同じ形は、もっと前にもあります。
大正期の新民謡は、工場と観光地と電鉄が発注していた
中山晋平が最初に作った新民謡は「須坂小唄」(1923年)です。長野県須坂町の製糸工場「山丸組」から、女工が歌える歌をという依頼で作られました。晋平は街の風景と工場の内部まで視察したうえで作曲しました。
これが新聞とラジオで紹介されると、自分たちの郷里でも作ってほしいという依頼が相次ぎます。三朝小唄、熱海節など、各地の小唄が次々と生まれました。
民俗学の側は、この時期の新民謡が「企業、レコード産業、放送局などのマスコミ等との連携によって大量生産されて広まっていった」と整理しています。連携の相手として、観光関連産業、商工会、自治体、百貨店、電鉄会社が挙げられています(濱千代早由美「民謡とメディア」『哲學』128集、三田哲學會、2012年)。
いま「伝統的な民謡」として流通しているものの相当部分は、大正から昭和初期に受注生産された新作です。さらに前に戻ります。
伊勢音頭を運んだのは遊郭、踊念仏を広めたのは宗派だった
伊勢音頭は、1732年から1738年にかけて名古屋に遊郭が新設された際、伊勢古市の廓主たちがそこへ店を出し、遊女に歌わせ踊らせたことで広がりました。売るための出店が、曲を運んでいます。
盆踊りの起源とされる踊念仏は、さらに古いところにあります。空也が始め、一遍の時宗で盛んになったもので、念仏を唱えながら踊るという形式が、文字を読めない層にも教えを届ける手段として働きました。
自然発生した土着の層が、どこにも見つからない
ここまで遡っても、依頼者も目的もない音楽は一つも出てきませんでした。踊念仏は宗教の側にあり、伊勢音頭は遊郭の側に、新民謡は工場と観光地と電鉄の側に、丸の内音頭は商店街の側に、モーニング娘。はレコード会社の側にあります。
形も変わっていません。中央で誰かが作った曲が完成品として配られ、人々はそれを受け取って、揃って踊ります。踊る側は曲を変えません。
被差別の側に置かれた人たちの芸能は、形が違う
河原者は、中世の被差別民を指す言葉です。初期の歌舞伎が京都の四条河原などで小屋掛け興行をしたことから、この言葉が芝居関係者への蔑称になりました。瞽女も琵琶法師も、共同体の外に置かれた側にいます。日本の芸能の相当部分は、差別された側から出ています。
沖縄のエイサーやカチャーシーが本土の盆踊りと質が違うのも、同じ線の上にあると思います。揃うことより、個が立つ形をしています。
黒人教会も、社会から差別された側に置かれた人たちの場でした。そこでは会衆が声を返し、その反応で曲の長さもキーも変わり、次の週には別の形になっています。全員が同時に作り手なので、共有した拍の格子からどれだけずらせるかが表現になります。ずれに意味が生まれるのは、全員がその格子を持っているからです。受け取って踊るだけの場では、ずらす理由がありません。
表拍だけで進むのは、多数派の音楽の性質です。日本人の能力の話とは別です。
J-POPは、日本の土着音楽である
配られた曲に合わせて、皆で揃って踊る。この形式は、踊念仏から今日まで変わっていません。
だから、四つ打ちのJ-POPを盆踊り会場でかける今のやり方は、元の姿のままだと言えます。土着という言葉を、その土地で長く続いてきた形という意味で使うなら、J-POPは日本の土着音楽です。
ここまでで言い切れるのは、系譜の部分だけです。日本語の発音の仕方から日本の音楽の拍を説明する筋も考えましたが、言語のリズムが器楽に現れることを示した研究(Patel & Daniele, Cognition 87巻, 2003年)が測ったのはイギリス英語とフランス語で、日本語は対象に入っていませんでした。そこはまだ推測の段階です。
あなたが自然に身体が動く曲は、誰が、何のために作ったものでしょうか。





