AIに任せたら何がしたいのか分からなくなったのは、目的を失ったからではなく、目的を配られているからである

資料の下書きも、調べものも、要点の整理も、投げれば返ってくるようになりました。手が空きます。空いた時間で何をしようかと考えたところで、ふと止まる。自分はいったい何がしたかったのか。

よく言われるのは、任せすぎるなという話です。判断まで渡すと考える力が落ちる、だから線を引け。もっともな指摘ですし、実際に線を引いた方も多いと思います。

この記事が立てる問いは、その先にあります。線を引いて判断を手元に残したとして、その判断が向かっている目的のほうは、どこから来たのでしょうか。

目次

AIに任せて空いたのは時間であって、目的ではない

任せることで手に入るのは時間であり、目的ではありません。ここを取り違えると、効率化したのに満たされないという状態が続きます。

処理が速くなっても、その処理が何のためだったのかは速くなりません。むしろ、作業に埋まっていた間は考えずに済んでいた問いが、時間が空いた分だけ前に出てきます。何をしたいのかが分からなくなったのではなく、分からないまま進めていたことに気づける余白ができた、という順序です。

だから、空いた時間の使い道を決める前に、確かめておくものがあります。いま自分が持っている目的は、どこで手に入れたものなのか。何がしたいのか分からないという状態は、答えが消えたのではなく、問いが遅れて届いただけかもしれません。

目的は、立てるものではなく、渡されるものだった

多くの人にとって、目的は自分で立てるものではなく、外から渡されるものでした。これは今に始まったことではありません。むしろ、自分で立てるほうが例外だったと言えます。

村があった時代は、村が目的を配っていました。家業があれば家が配り、会社に入れば会社が配り、信仰があれば宗教が配りました。何をして生きるかは、生まれた場所と所属する組織でおおよそ決まっていて、個人が白紙から決める場面はほとんどなかったはずです。

この記事では、そうやって外から渡された目的を、供給された目的と呼びます。自分で立てたのではなく渡されたのに、自分で選んだつもりになっている目的のことです。

渡された目的は、自分で選んだ記憶とセットで届く

供給された目的が厄介なのは、渡されたという実感を伴わないところです。押し付けられた感覚があれば、人は抵抗できます。

現実には、そうなりません。進路を決めたときも、転職を決めたときも、住む場所を決めたときも、選択肢はすでに絞られた状態で目の前に並んでいました。その中から自分で選んだのは事実です。ただし、並べたのは自分ではありません。選んだ記憶だけが残り、並べられていた事実は残らない。だから供給された目的は、自分の目的の顔をして手元にあり続けます。

自分で選んだという感覚は、目的が自分のものである証拠になりません。選んだ事実と、選択肢を並べた主体は、別々に確かめる必要があります。ここが、この話でいちばん見落とされる部分だと考えています。

AIは目的を持てないが、目的を配ることはできる

AIが自分の目的を持たないことと、AIが人に目的を配れないことは、まったく別の話です。前者はよく語られますが、後者はあまり語られません。そして後者を見落とすと、AIは目的に関与しないという結論になってしまいます。

現在のAIに、内側から欲求が湧く仕組みは確認されていません。目的地を入力するのは人間の側だという整理も、その通りだと思います。ただしその整理は、人間が目的を自前で作っていることを保証しません。人間が入力する目的そのものが、どこかから供給されたものである可能性を、この整理は扱っていないからです。

そして、目的を配る仕事にかけて、機械はすでにかなり有能です。次に見るもの、次に読むもの、次に買うもの、次に目指すべき状態。何を望むべきかの候補は、日々大量に、しかも一人ひとりに合わせて届けられています。ここで一点、事実と解釈を分けておきます。推薦の仕組みが人の選好に影響することは広く指摘されている一方、それが人生の目的の水準まで書き換えるという因果は証明されていません。ここで指摘できるのは、望むものの候補を提示する主体が入れ替わったという事実だけです。

判断を手元に残しても、目的が借り物なら同じところへ着く

線を引くことは有効ですが、それだけでは足りません。判断を守っても、目的が借り物のままなら、たどり着く場所は変わらないからです。線を引いた方ほど、何がしたいのか分からない感覚が残りやすいのは、そのためだと考えられます。

任せてよい処理と任せてはいけない判断を分ける。検証できるものだけを渡す。最後の一マイルは自分で歩く。どれも試された方が多いと思いますし、実際に効きます。ただしそれらはすべて、目的が決まったあとの話です。どこへ向かうかが決まっていて初めて、どう進むかの判断が意味を持ちます。目的の側が供給されていれば、丁寧に判断するほど、供給された場所へ正確に着きます。

Q:AIに任せる範囲を狭めれば、この問題は解決するのでしょうか。
A:解決しません。任せる範囲は、目的が決まったあとの手段の話だからです。手段を自分で握っていても、目的が外から届いたものであれば、向かう先は変わりません。範囲を狭めるより先に、いま持っている目的をどこで受け取ったかを確かめるほうが効きます。

自分で立てた目的だけが、達成したあとに効く

自分の価値観と一致した目的は、達成したあとの効き方が違います。ここには研究の裏づけがあります。

シェルドンとエリオットが1999年に発表した研究があります。掲載誌はJournal of Personality and Social Psychology、第76巻3号、482ページから497ページです。自分の関心や価値観と一致した目標を追う人は努力が続きやすく、達成率も高くなる。さらに、達成したときに得られる幸福の増分そのものが大きくなる。この効果は、努力の過程で積み上がる自律性や有能感の充足を通じて生じると報告されています。

ここからは私の解釈です。学説として確立された議論ではありませんので、そのつもりで読んでください。裏を返すと、一致していない目標は、達成しても効きにくいということです。うまくいったのに何も変わらなかったという感覚には、性格ではなく構造の側に説明がつく可能性があります。

目的を疑う手がかりは、達成したあとの空白にある

目的が自分のものかどうかは、追いかけている最中には分かりません。分かるのは、達成した直後です。追いかけている間は、目的が自分のものに見えるようにできています。

欲しかったものを手に入れた。行きたかった場所に行った。狙っていた役職に就いた。そのとき、静かに熱が引く感じがあったなら、それは手がかりになります。自分で立てた目的なら、達成は次の問いを連れてきます。供給された目的なら、達成したあとに空白が来ます。次に何を望めばよいか分からず、また誰かが並べた候補の中から選ぶことになる。

判断基準は、この一つで足ります。それを達成したあと、自分は次に何を望むかを言えるか。言えないなら、その目的は受け取ったものである可能性が高いと考えられます。

理由を言葉にしたとき、それが誰の言葉かを見る

もう一つ、その場で使える手がかりがあります。その目的をなぜ追うのかを、声に出して説明してみることです。

説明の中に、市場で評価されるから、周りがそうしているから、そういう時代だから、という言い方が出てきたなら、理由の出どころは自分の外にあります。自分で立てた目的の理由は、もっと個人的で、他人には通じにくい形をしていることが多いはずです。他人にきれいに通じる理由ほど、他人から来たものである可能性があります。

この確認は、目的を捨てるためのものではありません。持ち続けるかどうかを決める前に、それが借り物かどうかを知っておくためのものです。

内的探査は趣味ではなく、供給を見抜く作業である

自分の内側を見る行為は、余裕のある人の趣味ではありません。目的が外から供給される環境では、これは実務です。見る対象は自分の感情ではなく、望みの出所です。

知能が安く手に入り、労働の多くが機械に移り、寿命が延びていく。そのとき手元に残る貴重なものは、何をしたいかを自分で決められることだと考えています。ただし決めるためには、いま持っている望みのうち、どれが自分の内側から出たもので、どれが渡されたものかを判別できなければなりません。内側を探るのは、その判別のための作業です。

公平を期すために、逆側も書いておきます。すべての供給された目的が悪いわけではありません。人は他者から受け取った目的で長く走れますし、それで良い人生を送ってきた人は大勢います。問題は受け取ること自体ではなく、受け取ったことに気づかないまま、うまくいかない理由を自分の性格に求めてしまうことのほうです。この違和感は、性格の問題ではありません。

目的だけは、外注できない

任せられるものは、これからも増えていきます。記憶も、計算も、下書きも、比較検討も、順番に手を離れていくと考えられます。

そのとき最後に残るのは、何かができることではなく、何をしたいかを自分で決められることです。そしてそれは、放っておけば残るものではありません。決めなければ、供給された目的のほうが、自分で決めた顔をして先に届きます。

いま追いかけているものを、一つだけ思い浮かべてみてください。それは、どこで受け取ったものでしょうか。

  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次