マイダス・システムに高値が付くのは、内容ではなく、誰も読んでいないからである

絶版になった自己啓発本の一冊に、数万円の値が付いている。書名は知っているのに、中身の説明はどこにも見当たらない。読んだという人の感想は「人生が変わった」で終わっていて、何がどう変わったのかは書かれていない。

それでも、これさえ読めれば何かが動くのではないか。その気持ちは、そう簡単には消えないと思います。

理由としてよく言われるのは3つです。絶版だから、部数が少ないから、本物だから。どれも間違ってはいません。ただ、この3つでは説明のつかないことが一つあります。同じ本が、大手の中古書店では3,000円台で棚に並んでいるのです。

この記事が立てる問いは、なぜ高いのか、ではありません。なぜその値段が、何年も下がらないまま居座り続けられるのか、です。

目次

マイダス・システムの中身は、ナポレオン・ヒルとサイコ・サイバネティクスの延長にある

まず、中身から確認しておきます。ここが分からないまま値段の話をしても、判断のしようがありません。

書誌情報は、はっきりしています。スチュアート・ゴールドスミス著『マイダス・システム―奇跡の成功法則』、竹内克明訳、廣済堂出版、1998年1月15日発売。原著は The Midas Method です。著者はイギリスの会社員だった人物で、自分で考案した方法を実践して独立し、財を築いたとされています。

構成は前半と後半に分かれます。前半は理論で、全体の半分以上を占めます。成功を決めるのは「自尊心レベル」と「能力レベル」の2つであり、土壇場で成功できないのはこの2つ、とくに自尊心のほうに問題があるからだ、という主張です。だから固定観念を壊し、自己イメージを引き上げることに紙数の大半を使っています。

後半が実践です。目標設定の方法、自尊心を高める4つのステップ、システムの実行、そして金銭の稼ぎ方という順に進みます。実践部分を一言でいうと、儀式です。変化を嫌う潜在意識を書き換えるために、書く、行う、という手順を書いてあるとおりに反復させる形式になっています。

系譜としては、目標を明確にし、それを言葉にして繰り返し、映像として思い描く、という古典的な枠組みの上に立っています。ナポレオン・ヒルや、マクスウェル・マルツの『サイコ・サイバネティクス』の延長線上にあると考えて、大きく外れません。

つまり、内容そのものに目新しさはありません。悪い本という意味ではなく、自尊心と成功法則を明示的に結びつけた点は、当時としては珍しい構成でした。ただ、数万円を払わなければ手に入らない種類の情報かというと、そうではないのです。

この本を読んだ記録は、日本語圏で数えるほどしかない

高値の理由を探すなら、この一点を見るのが早いと思います。この本について書かれた文章が、驚くほど少ないのです。

読書記録サービスのブクログで、この本を本棚に登録している人は16人。感想は3件です。平均評価は3.00で、内訳は星3が3件、それ以外は0件でした。3件のうち1件は、本文が「9,000円」という5文字だけです。2005年に書かれたもので、おそらく当時の購入価格でしょう。

もう1件は「目標設定の具体的な方法などは参考になる」という一行だけで、中身に踏み込んでいるのは残る1件のみでした。

ブックオフの公式オンラインストアでは、中古価格3,135円で商品ページが立っています。ただし在庫はなく、全国の店舗の入荷数も0店でした。レビューは1件で、ブクログから転載された、あの詳しい1件と同じ文章です。

ここで一点、事実と解釈を分けておきます。ここに挙げたのは、ある時点で公開されている記録の数です。日本でこの本を読んだ人が16人しかいない、という意味ではありません。読まれた冊数と、読んだ痕跡が残った数は別物です。

それでも、この差は意味を持ちます。数万円という値札がつく本について、内容を論じた文章が数えるほどしかない。この状態が何年も続いているのです。

中身の評価が存在しない本は、値段が評価の代わりになる

ここから、値段の話に入ります。結論を先に書くと、評価の空席に値段が座っている、というのがこの本に起きていることです。

普通の本には、読んだ人の言葉が積み上がります。良かった、期待したほどではなかった、この章だけは今でも使っている。そうした声が数百件も並べば、値段は内容の後ろに引っ込みます。読者は中身の評判を見て買うかどうかを決めるので、値札は判断材料の一つにすぎません。

読んだ人の言葉が3件しかない本では、この順序が逆になります。中身を判断する材料が存在しないので、残っているのは値段だけです。そして高い値段は、それ自体が「これは特別なものだ」という情報として働きます。

つまり、内容が語られないほど、値段が内容の代わりを務めるようになる。ここには、書き手にも売り手にも意図の要らない自動的な作用があります。誰かが仕組んだのではなく、材料が足りない場所に、手近な材料が流れ込んだだけです。

Q:中身の情報が少ない本は、なぜ値段が下がらないのでしょうか。

A:値下げの圧力が働くのは、比較できる相手がいるときだけだからです。出品が数点しかない市場では、高い値をつけた出品者に競合が現れません。売れないので在庫として残り、その高い表示価格が検索結果に居座り続けます。表示されている価格は、実際に取引が成立した価格ではありません。誰も買っていない値段が、そのまま相場のように見えている状態です。

値段を押し上げるのに、買い占めは要らない

この本の値段については、興味深い証言が残っています。押し上げた側からの言葉です。

著述家の石田久二氏は、2018年に自身のブログで、この本のアマゾン中古価格を切り上げたのは自分だという説があると書いています。一時期は10万円ほどまで高騰していたとも述べたうえで、10万円の価値はない、英語が読めれば原著は無料で手に入る、国会図書館にもある、と続けています。

ここで注目したいのは、氏が何をしたかです。買い占めではありません。自分の著書の一章がこの本を下敷きにしていると書き、講演やライブ配信で言及した。それだけです。

私は当初、この種の高値は誰かが在庫を押さえて作っているのだろうと考えていました。流通が数百冊なら買い占めの費用は現実的な範囲に収まるので、理屈としては成り立ちます。

しかし、この本の実態はもっと軽いものでした。出品が数点しかない市場では、一人の書き手が言及するだけで需要が動きます。買い占める必要がない。市場が小さいということは、それだけ少ない力で値段が動くということです。

ここからは私の解釈です。値段が誰かの意図で作られているかどうかは、実は大きな問題ではありません。意図があってもなくても、記録の少なさが値段を支えるという構造は同じように働きます。犯人を探しても、構造は変わらないのです。

高く払った人ほど、効かなかったとは言えなくなる

ここまでは売る側の話でした。ここからは、買う側で何が起きるかを見ていきます。

高い金額を払うと、その支払いを正当化する力が働きます。社会心理学者レオン・フェスティンガーが1957年に提唱した認知的不協和の理論が扱っているのは、この働きです。自分の行動と、自分の認識が食い違ったとき、人は行動のほうではなく認識のほうを変えて辻褄を合わせる傾向がある。そう説明されています。

7万円を払った本が、読んでみたら平凡だった。このとき、平凡だったと認めることは、7万円を無駄にした自分を認めることと同じになります。だから、そう認めない方向に思考が動きます。

ここで大事なのは、これが弱さや愚かさの話ではないことです。誰の頭の中でも同じように起きます。値段が高いほど、正当化しなければならない額が増え、その分だけ力が強く働くというだけの話です。

そして、この構造には副産物があります。買った人が損をしたと感じないので、苦情が出ません。苦情が出ないので、批判も蓄積されない。かわりに「これはすごい本だった」という言葉だけが残ります。中身の説明はないまま、評判だけが増えていくのです。

最初の問いに戻ると、値段が下がらない理由の一つはここにあります。高く買った人は、高くて当然だったと語る側に回りやすいのです。

「まだ本物に出会っていない」という説明は、何度でも使える

もう一つ、値段を支えているものがあります。読まなくても手に入る安心と、読んだあとの言い訳です。

自分が変われないのは、正しい方法をまだ知らないからだ。この説明には、確かめようのない強さがあります。世の中に方法は無数にあるので、まだ知らない方法が残っている可能性は、いつまでも消えません。探し続けているあいだ、この説明は一度も否定されずに済みます。

だから、買った時点で何かをした実感が手に入り、読み切らなければ失望も来ない。手に入れること自体が、目的として完結してしまう構造になっています。

高い値段は、この点でも都合よく働きます。7万円を払った自分は本気だった、という証明になる。そして本気でやったのに変わらなかったとき、「まだ本物に辿り着いていない」という次の説明が用意される。値段が高いほど、その説明の強度が上がります。

だから「幻の本」という枠が、この構造にはよく噛み合っています。確かめられないことが価値なので、読まれないまま高く流通している状態が、売る側にとっても買う側にとっても居心地がよいのです。

ただ、ここは責める話ではないと思っています。向き合わずに済む場所を持っておくことは、人が自分を保つための普通のやり方です。問題は、その場所に7万円の値札が付いていることのほうです。

儀式には効く部分がある。ただし、それは値段とは関係ない

公平を期すために、逆側も書きます。この本が説く「儀式」には、実際に機能する部分があります。

書く、決めた手順を決めた通りに繰り返す。この形式は、心理学では実行意図と呼ばれる研究群と重なります。ペーター・ゴルヴィツァーが1999年に American Psychologist 誌で提示したもので、「いつ、どこで、何をするか」をあらかじめ具体的に決めておくと、目標の達成率が上がるという内容です。ゴルヴィツァーとシーランによる2006年のメタ分析でも、一定の効果量が報告されています。

漠然と「痩せたい」と思っているより、「月曜の朝7時に、家を出て角を左に曲がる」と決めておくほうが実行されやすい。マイダス・システムの後半が反復させているのは、形式としてはこれに近いものです。

ですから、この本を読んで実際に変わった人がいたとしても、不思議はありません。手順を紙に書き、日付を決めて繰り返す。それは効く可能性のある行為です。

ただし、ここで区別が要ります。効いているのは書いて繰り返したことであって、その手順を高い金額で入手したことではありません。同じ形式は、図書館で借りられる本にも、無料で読める研究の解説にも書かれています。

もう一点、正直に書いておきます。実行意図の研究が扱っているのは具体的な行動目標であって、収入が増えるかどうかではありません。手順が続きやすくなることと、望んだ結果が出ることは、別の話です。

判断基準は、その本を読み終えた翌週の自分を思い浮かべられるか

最後に、判断の基準を一つ渡しておきます。高額な自己啓発本や講座を前にしたとき、値段の妥当性を考えても、たいてい答えは出ません。かわりに、時間軸をずらしてみてください。

問いは一つです。それを読み終えた翌週の自分は、何をしているでしょうか。

具体的に思い浮かぶなら、買う理由があります。月曜の朝に紙を出して目標を書き出している自分。手帳の予定を組み替えている自分。誰かに連絡している自分。何をするかが見えているなら、その本はあなたの中でもう道具になっています。

思い浮かばないなら、少し待ってみてもいいかもしれません。「読み終えたら、たぶん何かが分かるはずだ」としか出てこないとき、買おうとしているのは本ではなく、探している状態を続ける権利のほうです。それは手に入れた瞬間に効き、そして何も変えません。

この基準の良いところは、値段を一切見なくて済むことです。3,000円でも7万円でも、翌週の自分が見えないなら答えは同じになります。逆に見えるなら、その本は図書館にあるかもしれないし、原著なら安く手に入るかもしれない。探し方の話に変わります。

マイダス・システムを読んだ記録は、日本語で3件しかありません。数万円という値札は、その空白の上に立っています。値札が語っているのは中身ではなく、誰もそれを確かめていないという事実のほうです。

いま手を伸ばそうとしているその一冊を、読み終えた翌週のあなたは、何をしていますか。

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