人はなぜ陰謀論者になるのか?アイデンティティのために主流ではない方を選んでいる

人が陰謀論者になる理由は、たいてい認知バイアスで説明されます。確証バイアス、選択的接触、分析的思考の不足。どれも間違いではありません。

しかし、認知バイアスでは決まらないことがあります。その人が、なぜよりによって主流ではないほうの説を選んだのかです。確証バイアスは、政府の発表を信じている人にも同じように働きます。

その人が選んでいるのは、説の中身ではありません。では、何を選んでいるのでしょうか。

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認知バイアスは、人が何を信じはじめるかを決めない

よく挙げられるのは、確証バイアス、連言錯誤、意図性バイアス、選択的接触、分析的思考の不足です。自分が信じたいことに合う事実だけを見て、合わない事実を無視する。複雑な出来事を、単純な筋書きに置き換える。どれも実際に働いています。

ただし、これらのバイアスは、その人が政府の発表を信じるか、政府が何かを隠していると信じるかを決めません。どちらを信じている人にも、同じように働くからです。信じている中身が逆でも、自分の見方に合う事実を選んで見ているところは同じです。

バイアスが説明しているのは、その人が信じたあと、その説をどう守るかです。何を信じはじめるかではありません。

みんなが信じている説を信じても、自分だけが知っていることにはならない

主流の説は、ある一つの性質を持っています。信じても、その人だけが知っていることにはならない、という性質です。

主流の説は、教科書にも新聞にも書かれています。同じことを信じている人が、周りに何百万人もいます。だからその説を信じたことは、その人について何も言いません。

その人が主流の説を誰かに話しても、相手はすでにそれを知っています。知っていることを教えることはできません。

信じている人が少ない説ほど、信じた人だけのものになる

この点を調べた研究があります。Lantian ら(2017年、Social Psychology 48巻3号)は、190人を対象に、陰謀論をどれくらい信じているかと、自分が持っている情報をどれくらい珍しいと感じているかを測りました。2つの相関は r=.46 でした。陰謀論を信じている人ほど、自分の情報を珍しいものだと感じていたということです。

Lantian らは同じ論文で、人と違っていたいという欲求が強い人ほど陰謀論を信じている、という結果も示しています。さらに、その気持ちを実験で高めると、陰謀論への賛同がわずかに上がりました。どちらも効果は小さい値です。

小さいのですが、向きはそろっています。信じている人が少ないということ自体が、その説の値打ちの一部になっています。

信じる中身は、メガビタミンから潜在意識へ移り変わる

同じ人が、時期によって別のものを信じます。大量のビタミンでがんが治る。がんの民間療法。スピリチュアル。潜在意識で病気が治る。政府が何かを隠している。

いま挙げた5つは、互いに関係がありません。栄養の話と、意識の話と、政治の話です。それでも同じ人のところに集まります。

5つに共通するのは、主流の側がそれらを認めていない、という一点だけです。中身が入れ替わっても、その一点は変わりません。

確かめられない説は、人を二つに分ける

立証された理論は、誰でも確かめられます。だから、それを知っていることは、その人だけのものになりません。

立証されていない理論は逆で、誰も確かめられません。信じるか信じないかしか残らないので、そこで人が二つに分かれます。分かっている人と、まだ分かっていない人です。

確かめられないことは、この使い方では欠点になりません。人を分ける役に立っています。

主流の側が全面的に否定しても、その否定は買う人に届かない

日本学術会議は2010年8月24日、ホメオパシーについて会長談話を出しました。ホメオパシーは、成分を極端に薄めた砂糖玉を飲む療法です。金澤一郎会長の名前で、治療としての有効性がないことが科学的に証明されている、と書かれています。

2010年から2026年までに16年がたちましたが、メーカーはホメオパシーの製品をいまも日本で売っています。国内でいちばん重い学術団体が名指しで全面的に否定しても、その否定は買っている人に届いていません。

否定が届かない理由は、前の章に書いたところにあります。主流の側が否定したという事実は、主流ではないほうを信じている人にとって、自分がどこに立っているかを確かめる材料になります。否定されるほど、立っている場所がはっきりします。

その説は間違っていると相手に示しても、届かない

家族や同僚がこの状態になったとき、多くの人は説の中身を訂正しようとします。その研究は取り下げられている、その数字は出典が違う、と。

訂正を相手が受け入れないのは、相手が理解できないからではありません。訂正を受け入れると、その人が立っている場所がなくなるからです。相手が守っているのは説ではなく、その説を信じている自分のほうです。

だから、こちらが変えられるのは、訂正をやめることだけです。その研究は取り下げられている、その数字は違う、と言うのをやめる。やめても相手の考えは変わりませんが、訂正を続けている間、相手はこちらの話を聞きません。やめると、別の話ができるようになることがあります。

そのうえで見るところを変えるなら、その人がその説から何を得ているかだと思います。人と違っていたいのか、周りに知らせたいのか、自分の話を聞いてほしいのか。それが埋まる場所が別にできれば、説のほうは要らなくなるかもしれません。ここは私の見立てで、確かめていません。

よくある疑問

Q:頭のいい人は、こうした説を信じないのではないでしょうか。

A:信じないとは言えません。上で挙げた研究が測っているのは知能ではなく、人と違っていたいという欲求の強さです。この欲求の強さは、知能とは別のものです。

Q:身近な人がこうした説を信じたとき、放っておくしかないのでしょうか。

A:放っておくという話ではありません。中身の訂正をやめて、その人が何を得ているかのほうを見る、というのがこの記事の答えです。ただし、病気の治療のように命に関わる場合は別で、その人が標準的な治療を受けられるよう、医師や自治体の相談窓口に早めにつないでください。

自分がいま、信じている人の少ない説をいくつ信じているかを、数えてみるのもひとつの方法かもしれません。そのうち、信じている人が少ないことが選んだ理由に入っているものはあるか。入っていたなら、確かめているのは説の中身ではないことになります。一度、切り離して見てみてはいかがでしょうか。

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