休日を無駄にしたと罪悪感を覚えるのはなぜか?

休日の夜に、今日は何もできなかったと感じることがあります。寝て過ごした日や、誰とも会わなかった日ほど、休日を無駄にしたという罪悪感は強くなります。

しかし、本当は寝たかった、人と会いたくなかったのなら、その休日は望みどおりだったはずです。それでも罪悪感を覚えるのはなぜなのでしょうか?

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休日を無駄にしたと感じるのは、休日を何かに使えたかで採点しているから

休日を無駄にしたという罪悪感は、休日を、何かに使えたかで採点したときに出ます。 何かに使えたかを基準にすると、寝て過ごした日にも、誰にも会わなかった日にも、点がつきません。

私は、休日を有効に使える感じにしたいと思う一方で、本当は寝たいし、人と接したくもありません。それでも寝て過ごすと、その日を堕落だと自分で採点してきました。昔からのことで、いまは俯瞰して見られるようになりました。

寝たいという望みがかなった日に、0点がつきます。罪悪感の出どころは、その日の過ごし方ではなく、採点の基準のほうにあります。

何にも使わない休日ほど、無駄だという考えの影響を受ける

採点の基準がいちばん効くのは、寝て過ごすような、何にも使わない休日です。休みは無駄だという考えは、それ自体のための休みにだけ影響し、目的のある休みには影響しないことが、研究で示されています。

マーケティング研究者のトニエットらが2021年に学術誌 Journal of Experimental Social Psychology に発表した研究では、ハロウィンの過ごし方を振り返ってもらい、楽しさを比べました。以下のとおりです。

休みの種類例休みは無駄だと考える度合いが強い人の楽しさ
それ自体のための休みパーティー、バー、お化け屋敷下がった
目的のある休み子どもを連れて回る、お菓子を配る変わらなかった

寝て過ごす休日は、それ自体のための休みです。同じ研究では、「休みは生産的だ」と書いた文章を読ませても、楽しさは上がりませんでした。寝ることも何かの役に立つと言い聞かせても、寝て過ごした休日の楽しさは戻らないはずです。

何かしていないとダメなのは、没頭しているあいだは人間関係の痛みが消えるから

では、寝たいはずの休日にも、なぜ何かをしてしまうのでしょうか。何かしていないとダメなのは、没頭しているあいだ、人間関係の痛みが消えるからでもあります。

私は昔から何かしていないとダメで、2つのことを同時にしています。ぼーっとすることができません。没頭しているあいだは、人間関係の痛みが消えます。ドラムも、叩いているあいだはノイズを消してくれます。

何もしない時間を避けたがるのは、珍しいことではありません。心理学者のウィルソンらが2014年に学術誌 Science に発表した研究では、物のない部屋で6〜15分、ただ考えて過ごしてもらったところ、半数ほどがこの時間を楽しめませんでした。考えるだけの時間に自分で電気ショックを流せるようにすると、男性の3人に2人が、少なくとも1回ボタンを押しています。

よくある疑問

Q:休日を寝て過ごすのは、無駄なのでしょうか?

A:寝て過ごした休日が無駄に見えるのは、その日を何かに使えたかで採点したときです。本当に寝たかったのなら、その休日は望みどおりに過ごせた日です。

Q:休日も何かしていないとダメなのは、自分だけなのでしょうか?

A:自分だけではありません。何もせずに考えるだけの時間を、半数ほどの人が楽しめなかったという研究があります。何もしない時間を避けたがる人は少なくありません。

休日の罪悪感は、休日を何かに使えたかで採点するところから出る

ここまでの話をまとめると、罪悪感の出どころは休日の過ごし方ではありません。休日を無駄にしたという罪悪感は、休日を何かに使えたかで採点するところから出ます。 私も、休日の思考をやめたい側です。

次に寝て過ごした休日は、夜に振り返らずに終えてみてはいかがでしょうか。

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