何かを身につけたいのに、自分には才能がないかもしれない、と感じて足が止まる。よくあることです。けれども、その「才能がない」という言葉が実際に何を指しているのかを、立ち止まって見たことはあるでしょうか。
この記事では、才能という言葉の中身を分解していきます。読み終えるころには、あなたの目標が思っているより閉じていないことと、そこへ近づくための具体的な道筋が、見えているはずです。
「才能がない」は、目標を手放す理由にはならない
才能がないという感覚は、たいていの場合、目標を手放す理由にはなりません。私たちは才能を、生まれた瞬間に完成している能力のように思い描きがちです。けれども、いわゆる天才と呼ばれる人たちも、実際には膨大な反復を積んでいます。一流の演奏家も棋士も、練習をしていないわけではなく、むしろ常人より積んでいることが多いのです。
違うのは、同じ反復から引き出せる量です。ある技術を身につけるのに、人より少ない回数で済む。理論を一度聞いて、その構造をつかむ。つまり才能とは、ゼロから完成品を生み出す魔法ではなく、後天の習得を速める係数のようなものだと捉え直せます。
この捉え直しには、実用的な意味があります。才能を完成品と見れば、持たない人は何もできません。けれども習得を速める係数と見れば、係数が低くても、習得そのものは誰にでも積めます。天才が10時間でたどり着く場所に、こちらは100時間かければいい、という話になります。
どれだけ練習が効くかは、目指すものによって違う
練習がどれだけ成果を左右するかは、目指すものによって違います。心理学者のマクナマラらが2014年に発表したメタ分析では、練習量で説明できる成績の差は分野ごとに幅があり、ゲームや音楽では比較的大きく、学業ではむしろ小さいと報告されました。この結果には異論もありますが、少なくとも、練習が無意味だという話ではありません。
そして、同じひとつの目標の中にも、生まれつきの差が出やすい層と、学べば伸びる層があります。たとえば音楽なら、音を正確に聞き分ける適性は個人差が大きい一方で、和音や進行の理論、編曲、運指、曲の構成といった層は、知識と反復で伸ばせます。目標をひとくくりに「才能で決まるもの」と見なすと、本当は攻略できたはずの層まで、自分で閉ざしてしまいます。
だから問い直したいのは、この才能が自分にあるか、ではありません。この目標のどの層なら、積み重ねが成果に変わりやすいか、です。効く層を見極めてそこに時間を置けば、同じ努力でも、結果に結びつきやすくなります。
力の入れどころは、注ぐ・手放す・任せるで決まります
限られた時間は、注ぐ先をあらかじめ決めておくほど、よく効きます。全力を注ぐ価値があるのは、学べば伸びる層です。理論や技術、構成のように、積み上げがそのまま成果に変わる部分でこそ、費やした時間がいちばん無駄になりません。
反対に、深追いしないと決めてよい部分もあります。生まれつきの差が出やすい感覚を人並み以上に引き上げようとしても、見返りは小さく、その間に貴重な時間を使い果たしてしまうからです。そこで人に及ばないことは引け目ではなく、手放すことは諦めではなく、ただの配分の判断です。
足りない感覚は、このあと触れるように、道具に任せれば足ります。注ぐ、手放す、任せる。この三つを先に仕分けておくと、何に時間を使うべきかで迷わなくなります。
立ち上がりが遅いだけ、ということもある
早い時期に結果が出なかったことは、能力の低さを意味するとはかぎりません。脳の発達には時間的な個人差があり、前頭前皮質の成熟は20代半ばまで続くとされています。ショウらが2006年にネイチャー誌で発表した縦断的な研究では、皮質の厚さそのものよりも、その変化のタイミングが知能と関係し、立ち上がりが遅く、伸びる時期が長く続く場合もあることが示されました。
念のため申し添えると、これは診断の話ではなく、自分を理解するための補助線です。私自身、その遅さを生きてきました。中学3年まで勉強がまるでできず、中学卒業で就職を勧められたほど。当時の偏差値は27でした。
そこから受験のたびに上がっていき、最終的に65に届きました。もし能力の天井が低かったのなら、その数字には届きません。立ち上がりが遅かっただけで、早い時期の停滞は、その後の高さを否定しないのだと思います。
速さで及ばなくても、積み方を変えれば近づける
速さで及ばなくても、積み方を変えれば、目標には近づいていけます。私が偏差値を上げたときも、ただ気力だけで量をこなしたわけではありませんでした。何ができていないかを見極め、そこに的を絞り、進め方を整えてから、量を重ねていったのです。ただし、入口としては数をこなすことが重要です。数をこなす中で本質がみえてきて、効果的な打ち手が見えてきて、行動できるように鳴るからです。
つまずく場所を見極めてから、回数を重ねます
順番が大切です。先に正しい形を整え、それから回数を重ねます。逆にすると、整っていない形のまま反復することになり、あとから直しにくいくせとして体に焼きついてしまいます。
整えるとは、つまずく場所を見つけて、そこだけに向き合うことです。全体を漫然と繰り返すより、できない一か所を切り出して扱うほうが、はるかに効きます。そして録音や模試のように、自分の状態を外から測れる仕組みを持つと、直すべき点がはっきりします。
形が整ったら、無理のない範囲で回数を重ねます。一度に長く続けるより、短く何度もに分けるほうが定着しやすく、あいだに睡眠をはさむことで、その日の練習が身につくとされています。腱や体を痛めない範囲にとどめることも、続けていくためには欠かせません。
足りないところは、道具に補ってもらいます
足りない部分は、道具に補ってもらえます。生まれつきの感覚で一発では決められないことも、道具と手順を使えば、確実に同じ出力にたどり着けます。
音程を支える補正の仕組みや、リズムを刻む装置、できていない点を目に見える形にするツールは、内側の能力の不足を、外側から穏やかに埋めてくれます。道具を使うことに、引け目を感じる必要はありません。目的は最終的な成果であって、それを内側の力だけで出すことではないからです。
才能という言葉に、立ち止まらされなくていい
才能という言葉に、立ち止まらされる必要はありません。才能ですべて決まると考えれば、努力する前から諦める言い訳になります。逆に努力ですべて決まると信じれば、報われなかったときに、すべてを自分の頑張り不足のせいにしてしまいます。
本当のところは、その中間にあるようです。生まれつきの要素も積み上げも、どちらも効き、その比率は目指すものによって違います。だとすれば、することはひとつに絞れます。
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