日本社会は、組織と個人に「全体の和を乱すな」と「個人として競争に勝て」という逆向きの二つの要求を同時に出します。従業員がその二つに応えようとして、新しい発想、意思決定の速さ、気力を失うことが、組織のエネルギーが下がる原因です。
しかし、実行力が落ちるのは従業員の意欲が低いからで、社会の話をしても経営は変わらない、という反論があります。戦略が優れていても実行力が落ちていく組織には、個人の意欲の差で説明しきれない原因があります。
以下の4つを順に説明します。働く動機になる不安の由来、二つの要求の中身、経営者が一人で対応する限界、リーダーの考えを文書や動画にして従業員に共有する方法です。
認められるか分からない不安が、人を働かせる
日本で人が働き続ける動機の一つは、世間から認められるか分からない不安です。働いて認められる実感を得ることで、その不安を和らげようとします。
この見方は、社会学者マックス・ヴェーバーの説を日本に当てはめたものです。ヴェーバーは、プロテスタントの一派であるカルヴァン派について次のように論じました。この派の予定説では、救われる人は神があらかじめ決めていて、本人の行いでは変えられず、生きているうちには誰が救われるかも分かりません。信者は「自分は救われるのか」という強い不安を抱え、その不安を打ち消す手がかりとして、贅沢を避けて天職に励み、仕事の成果を救われている証と受け止めました。ヴェーバーは、この態度が資本主義の精神につながったと説明しました。
キリスト教には、人間の力ではどうにもならないと認めて神に委ね、救いを無償で受け取る考え方もあります。カルヴァン派はそれと違い、不安を働く力に変えた点に特徴があります。
日本では、神の代わりに世間が不安の源になります。「お天道様が見ている」という言葉に表れる、周囲の目を意識する感覚が土台にあり、そこに江戸時代に勤勉を説いた朱子学系の倫理(石田梅岩の心学など)が重なります。世間から承認される保証がないので、その確証を得ようとして、自分を犠牲にしてでも働き続けます。
ただし、この日本への当てはめは書き手の仮説で、日本人を対象にした調査では確かめられていません。ヴェーバーの説そのものにも、資料の使い方への批判があります。
逆向きの二つの要求が、組織のエネルギーを下げる
従業員は、周囲から次の二つの要求を同時に受けます。二つは向きが逆なので、同時に満たそうとするほど、従業員の時間と気力が余計に使われます。
| 観点 | 共同体としての要求 | 個人としての要求 |
|---|---|---|
| 背景 | 周囲の目を気にする気持ち | 認められるかどうかの不安 |
| 求められること | 和を乱さず、全体のために自分を犠牲にする | 自己責任のもとで成果を出し、競争に勝つ |
| 優先されるもの | 個人より全体の調和 | 個人の成果 |
全体のために自分を抑えながら、個人としても成果を問われるので、従業員は何を優先するか決められません。その迷いが、発想の幅、意思決定の速さ、気力を下げる非効率になります。
経営者が一人で対応すると、組織が大きくなるほど間に合わなくなる
社会の圧力への対応を経営者が一人で担っていると、組織の規模が大きくなるほど、その対応は間に合わなくなります。経営者の経験と能力に頼る形は、人数が増えると回らなくなります。
経営者は、次の二つの仕事を一人で引き受けています。
- 従業員が受けている社会の圧力の中身を理解し、従業員に分かる言葉で説明する
- 社会の圧力が強くても、組織独自の文化が崩れないよう、日々の判断で支える
会社は社会の中にあるので、この二つの仕事は欠かせません。経営者の説明が追いつかず、文化も支えきれなくなると、従業員は社会の圧力を直接受け、エネルギーを失います。
リーダーの考えを文書や動画にして、従業員がいつでも見られるようにする
経営者の負担を減らすには、経営者が自分の考えを動画、記事、文書にして、従業員がいつでも見られるようにします。企業理念や価値観を口頭で伝える代わりに、誰でも読める形で共有する方法です。
この方法の効果を調べた研究は見つかっていません。提案の段階です。
文書や動画には、マニュアルのような情報の伝達に加えて、次の二つの内容が必要です。
社会の圧力が何かを、従業員が客観的に理解できる説明
「いま感じている圧力は、社会の構造から来ている」と従業員自身が気づける内容にします。気づければ、経営者が個別に説明しなくても、従業員は圧力の正体を理解できます。
前半で説明した不安の由来と二つの要求が、この内容の材料になります。
この組織がどうあるべきかを示す理念
社会の圧力が強い状況で、この組織がどうあるべきかを、はっきり文章にします。「社会ではこうだが、この組織はこの考え方で動く」と決めて従業員に伝えれば、従業員は理念を基準に、自分で判断できるようになります。
理念が共有されていれば、経営者が一件ずつ文化を守らなくても、組織の文化が保たれます。
まず、従業員に何を説明し、何を守ってきたかを書き出してみてはいかがでしょうか
直近の1か月に、社会の圧力について従業員へどう説明し、組織の文化を守るために何を決めたかを書き出してみてはいかがでしょうか。その記録が、文書や動画に入れる内容の元になります。







