もう何十年も前のことなのに、ふとした瞬間に思い出して、いまさら腹が立つ。子どもの頃に親から褒めてもらえなかった場面が夢に出てきて、そこから半日ほど引きずってしまうこともあります。
世の中に流通している答えは、だいたい決まっています。褒められずに育つと自己肯定感が育たないので、今度は自分で自分を褒める練習をしましょう、と。
この記事が立てる問いは違います。いま動き出しているのは、本当に褒め言葉の不足なのでしょうか。
夢が先に出したのは、馬鹿にされた場面ではなかった
私には、7歳の頃の記憶が一つあります。
地元でミニ四駆の小さな大会がありました。出たいと言って連れて行ってもらったのですが、会場は想像していたのとまるで違いました。上級生がずらりといて、改造の程度が段違いだったのです。私の一台はその場ではみすぼらしく見えましたし、実際にそれを見て笑われもしました。
出たくない。そう言い出した私に、母はなんで出ないのよと怒りました。その日はたまたま大好きだった祖父も来ていて、おじいちゃんもいるのに、とも言われました。
長いあいだ、私はこの一件を「恥をかいた記憶」として持っていました。ところが最近この場面が夢に出てきたとき、先に立ち上がってきたのは別の感情でした。
改造したミニ四駆を、褒めてもらえなかったこと。そちらのほうが先に来て、大会の記憶はその感情に引っ張られ、あとから連れてこられただけでした。
夢が拾ったのは、笑われたことでも、怒られたことでもありません。見せたのに何も言われなかった、そちらのほうでした。
されたことより、されなかったことのほうが長く残る
この順番は、私だけのものではないと思います。
されたことには輪郭があります。誰が、いつ、何を言ったかが全部わかっているので、腹を立てることも、距離を取ることも、忘れることもできます。相手が特定できるものは、扱いようがあるのです。
されなかったことには輪郭がありません。あの日、母は私のミニ四駆を見て何も言いませんでした。その「何も」には形がないので、名前をつけられないまま、ずっと居座り続けます。
心理学の言葉を使えば、前者は外から加えられたもので、後者は内側で足りなかったものです。痛みの質が違うので消え方も違い、外から加えられたものは時間が薄めてくれることがありますが、足りなかったもののほうは薄まりません。埋まっていないものは、何十年経っても埋まっていないままだからです。
中断された作業は、およそ7割の割合で自分から再開される
ここで、心理学の古い実験を一つ挙げます。
マリア・オフシャンキナは1928年、参加者に作業を途中でやめさせる実験を行いました。そのあと自由な時間を与えると、参加者たちは指示されていないのに、その作業へ自分から戻っていったのです。この傾向は「オフシャンキナ効果」と呼ばれ、原典は Psychologische Forschung 誌の第11巻、302ページから379ページに掲載されています。
この効果は、およそ100年後にあらためて検証されました。ロマン・ギベリーニとベアト・マイヤーが2025年7月、Humanities and Social Sciences Communications 誌の第12巻に発表したメタ分析です。21本の研究を統合したところ、中断された作業の再開率は67.00パーセントでした。偶然なら50パーセントですから、これを大きく上回っています。
同じ論文は、もう一方の有名な効果については逆の結論を出しています。未完了の作業のほうが記憶に残りやすいという「ツァイガルニク効果」は再現できず、普遍的な妥当性を欠くとされました。
ここで一点、事実と解釈を分けておきます。この実験が扱ったのはパズルや単純作業の中断であって、幼少期の感情や親子関係を測ったものではありません。ここから言えるのは、途中でやめたことを人がよく覚えているわけではないけれど、そこへ戻ろうとはする、という傾向だけです。
子どもが見せたかったのは、できあがりではなく途中経過である
ここからは私の解釈です。学説として確立された議論ではありませんので、そのつもりで読んでください。
7歳の私がミニ四駆を母に見せたとき、欲しかったのは「すごいね」という言葉そのものではなかったと思います。欲しかったのは、自分が手をかけた過程を誰かが見ていたという事実のほうでした。
タイヤを替えた。シャーシを削った。シールの位置を何度も変えた。その一つ一つには7歳なりの理由があって、見せたかったのはその積み重ねのほうだったのです。
だから、できあがった車体をちらっと見て終わりでは届きません。逆に言えば、その過程を見届けてもらえていれば、大会で笑われても、あの一台は私の中で完成していたはずなのです。
見届けられなかったものは、完成しません。完成していないものは、途中のまま残ります。
自分を褒める練習が続かないのは、照れくさいからではない
同じ悩みを扱う記事は、たいてい同じ場所に着地します。他人の承認に頼らず、自分で自分を認める練習をしましょう、と。今日ちゃんと起きられた自分に「えらい」と言ってあげる、といった提案です。
これを実際にやってみて、続かなかった方も多いと思います。自作自演のようで気恥ずかしいから、と説明されがちですが、私はそこが理由だとは思っていません。
言葉は、途中で止まっているものを終わらせないからです。
「えらい」と自分に言うのは、褒める役を親から自分に交代させる操作です。ですが、そもそも足りていなかったのは褒め言葉ではなく、手をかけたものが最後まで見届けられるという経験のほうでした。役を交代させても、足りていないものの種類が違うので噛み合いません。
先ほどの実験が示していたのは、中断された作業は再開される、ということでした。再開されて、終わる。人が求めているのはそこであって、褒め言葉そのものではありません。
いま同じものを作り直しても、当時のそれは戻ってこない
公平を期すために、逆側も書いておきます。
いま私がミニ四駆を買ってきて、当時できなかった改造をして、塗装まで仕上げたとします。それで7歳の私が満たされるかというと、そうはなりません。
当時欲しかったのは、7歳の自分が、あの母に、あの祖父の前で見届けられることでした。年齢も相手も条件も、すべて変わってしまっています。同じものを再現しようとすれば必ず別物になるので、取り戻しにはならないのです。
できるのは、あの一台が途中で止まっているという事実を、いまの自分が引き受けて、いまの自分の手で終わらせることです。相手を再現するのではなく、完成という一点だけを回収します。
これは代償行為に見えるかもしれませんし、実際に代償です。ただ、途中のものを途中のまま抱えているより、終わらせたほうが荷物は減ります。
判断基準は、その一つを最後まで持っていけるかどうか
何から手をつければいいのか、判断基準は一つだけです。
いま自分の中で動き出しているそれを、最後まで持っていける形にできるかどうか。
手をかけた何かが途中で止まっているなら、それは完成させられます。作りかけのものを仕上げる、やりかけの曲を最後まで録る。当時そろえられなかった道具をそろえて、一度だけ本気でやり切る。終わりのある行為なら、終わらせることができます。
一方で、終わらせられないものもあります。相手に言わせること、認めさせること、謝らせること。これらは相手の側にあるので自分では閉じられず、手を伸ばすほど荷物は増えていきます。
だから、出てきた感情を見たとき、まずこう分けてみてください。これは自分の手で終わりまで持っていけるものか、それとも相手の中にしかないものか。拾うのは前者だけにして、後者はいまのところ置いておいてください。
一度に全部を開けようとしないことも大事です。こういうものは一つ動かすだけでかなり疲れるので、今日はこの一件だけ、と決めてしまっていいと思います。
よくある疑問
Q:子どもの頃に親から褒められなかったことは、大人になってからでも埋められるのでしょうか。
A:当時の相手も年齢も条件も戻らないので、褒め言葉としては埋まりません。ただし、手をかけたものを最後まで完成させるという経験なら、いまの自分の手で作れます。足りなかったのは褒め言葉ではなく、見届けられて終わるという経験のほうなので、そちらは取り戻す対象になります。
Q:昔のことを急に思い出して腹が立つのは、こじらせているということでしょうか。
A:そうとは限らず、当時それを分解して名前をつける道具が、まだ手元になかっただけということもあります。7歳の子どもが、恥と怒りと孤立を切り分けて整理できるわけがありません。いま感情が動くのは、扱える言葉と距離がようやくそろったからだ、という読み方もできます。
Q:親を責める気持ちが出てきて苦しいのですが。
A:親の側の事情を理解することと、自分が傷ついた事実を取り下げることは、別の話です。両方をそのまま置いておいて構いませんし、どちらか一方に決着をつけないと前に進めない、ということもありません。
見届ける相手は、いまの自分でいい
この記憶は、たぶん消えません。消そうとしても無駄です。
ただ、それが自分の弱さではなく、途中で止まったものが戻ろうとしているだけだとわかれば、扱い方は変わってきます。完成させられるものを一つ選んで、最後まで持っていく。それを何度か繰り返すうちに、抱えているものは少しずつ軽くなっていくのかもしれません。
なお、過去の場面が繰り返し頭に浮かんで日常生活に支障が出ている場合や、眠れない状態が二週間以上続いている場合は、この記事の話ではありません。医療や心理の専門家に相談することを検討してみてください。
あなたがいま抱えている、途中で止まったままのものは何でしょうか。それを最後まで見届けるのは、もう自分でいいのだと思います。






