完璧な人間なんていない、とよく言われます。それでも、もっとうまくなりたい、すごいと思われたいという気持ちは消えません。
しかし、完璧な人間になれないのなら、不完全なまま隣の人と生きるとは、どういうことなのでしょうか?
不完全なまま隣の人と生きるとは、欠けを残したまま、気持ちに明け渡さずに生きること
不完全なまま隣の人と生きるとは、自分の欠けを残したまま、すごいと思われたいような気持ちに自分を明け渡さずに、隣の人と生きることです。 ここで分けておきたいのは、欠けと囚われです。
以下のとおりです。
| 比べる点 | 欠け | 囚われ |
|---|---|---|
| 何か | 足りないところ。誰にでもある | 欠けを埋めようとして、気持ちに自分を明け渡した状態 |
| 扱い方 | 残したままでよい | 気持ちに明け渡すのをやめる |
欠けは、あってよいものです。やめるのは、欠けを埋めようとして気持ちに明け渡すことのほうです。
完璧な人間を目指すのは、欠けを埋めようとすること
欠けを残せないと、人は完璧を目指します。完璧な人間を目指すのは、自分の欠けを埋めようとすることです。
私にも、ドラムがうまくなりたい、すごいと思われたいという気持ちがあります。ただ、気持ちがあることと、その気持ちに自分を明け渡すことは違います。
囚われは、自分が消えることを恐れている
では、気持ちがあることと、囚われることは何が違うのでしょうか。囚われは、自分が消えることを恐れています。
すごいと思われたい気持ちがあるだけなら、その気持ちは自分の一部です。気持ちに自分を明け渡すと、その気持ちが自分を動かすようになります。うまくならなければ、すごいと思われなければ、自分が消えてしまう。囚われは、そう感じさせます。
囚われにも価値がある、と考えたくなることがあります。私は、それは囚われの抵抗だと思います。囚われは、自分が消えることを恐れているからです。
神のようになろうとする物語も、隣の人と生きる結末を選ぶ
完璧になろうとする物語にも、同じ型が出てきます。ゼノギアスは、神のような存在になろうとする物語でありながら、不完全なまま隣の人と生きる結末を選びます。
ゼノギアスはゲームで、登場人物たちが神のような存在になろうとします。主人公の2人は、その力を選ばず、人として一緒に生きて帰ります。私がこの物語に引っかかっていたのは、この型があったからだと思います。
隣の人と生きることは、研究でも支えられています。ハーバード大学が1938年から続けている成人の追跡研究では、人を生涯にわたって幸せにしていたのは、お金や名声より、身近な人との関係でした(ハーバード・ガゼット、2017年)。
ただし、隣の人と生きても、欠けは埋まりません。そこには寂しさも残ります。
よくある疑問
Q:完璧主義をやめたいときは、気持ちを消せばよいのでしょうか?
A:気持ちを消す必要はありません。すごいと思われたい気持ちがあることと、その気持ちに自分を明け渡すことは違います。やめるのは、明け渡すほうです。
Q:欠けは、埋めなくてよいのですか?
A:欠けは誰にでもあり、残したままでよいものです。やめるのは、欠けを埋めようとして気持ちに明け渡すことのほうです。
欠けは残し、気持ちに明け渡さずに、隣の人と生きる
完璧な人間には、誰もなれません。欠けは残したまま、気持ちに明け渡さなければ、不完全なまま隣の人と生きることができます。
すごいと思われたい気持ちが出てきたときに、その気持ちに自分を明け渡していないかを、一度見てみてはいかがでしょうか。
