1980年代のポピュラー音楽やフュージョンを聴くと、しばしば耳にする独特のスネアサウンドがあります。深い残響が付加されているにもかかわらず、その余韻は短く制御され、力強さと同時にある種の均質さを感じさせる響きです。多くのドラマーが、このサウンドを再現するためにリバーブの設定を試みた経験があるかもしれません。
しかし、その答えがエフェクターの調整だけではなく、ドラマー自身のストローク、すなわち身体的なアプローチに起因するとしたら、どのように考えられるでしょうか。
当メディアの『ドラム知識』というカテゴリーでは、単なる技術論に留まらず、機材、歴史、そして人間の身体性がどのように相互に作用し、音楽を形成してきたかを探求します。本記事では、この視点に基づき、80年代のサウンドを定義したドラマーの一人であるオマー・ハキムのストロークに焦点を当てます。
彼の演奏が、当時のサウンドを象徴するものとなった背景には、当時最先端であった電子技術と、それに応えるために彼が編み出した「エレクトリック・ストローク」と呼ぶべき、ダイナミクスに対するアプローチの変容がありました。
80年代サウンドの象徴「ゲートリバーブ」の仕組み
まず、オマー・ハキムのストロークを理解する前提として、80年代のサウンドを特徴づける機材である「ゲートリバーブ」について解説する必要があります。
ゲートリバーブとは、名称が示す通り「ゲート」と「リバーブ」という二つのエフェクトを組み合わせたものです。リバーブが音に残響を付加するのに対し、ノイズゲートは設定した音量(スレッショルド)を下回る信号を遮断する役割を持ちます。
この二つを組み合わせることで、「スネアが叩かれた瞬間のアタック音には深いリバーブがかかるが、その後の減衰していく残響音が一定の音量を下回った瞬間に、ゲートが作動して急激にカットされる」という効果が生まれます。
この技術により、フィル・コリンズの「In the Air Tonight」などで聴かれるような、力強く広大な空間を感じさせつつ、余計な響きが他の楽器の妨げにならない、分離の良いドラムサウンドが実現可能になりました。これが、80年代のサウンドデザインを象徴する技術の一つとなりました。
オマー・ハキムが用いた「エレクトリック・ストローク」の本質
当時の課題は、このゲートリバーブという電子技術を、いかにして音楽的に機能させるかでした。ここでオマー・ハキムの技術が重要な役割を果たします。彼は、この電子機器が安定して作動するための条件を、自身の身体的なアプローチ、すなわちストロークによって満たしたのです。
ゲートリバーブが意図通りに機能するためには、ゲートを開くトリガーとなる入力信号、つまりスネアの一打一打が、非常に強く、かつ均一である必要がありました。アタックが弱いとゲートが開かず、リバーブはかかりません。アタックの強さにばらつきがあれば、ある音にはリバーブがかかり、ある音にはかからないという、音楽的に不自然な結果が生じる可能性がありました。
この電子的な要求に応えるため、オマー・ハキムのストロークは、従来のアコースティックな演奏とは異なる方向へ適応していきました。本記事ではこれを「エレクトリック・ストローク」と呼びます。その特徴は、以下の点に整理されます。
・アタックの最大化: 一打の音量を最大化し、音の立ち上がりを鋭くするため、リムショットを多用する。これにより、ゲートリバーブを確実に作動させるトリガー信号を生成する。
・ダイナミクスの均一化: ゴーストノートのような繊細な表現を抑制し、多くのショットをほぼ同じ音量で演奏する。これにより、エフェクトのかかり方を均一に保つ。
これは、ドラマーが感情の起伏を強弱で表現するという、従来の音楽表現とは異なる方向性のアプローチです。シーケンサーやドラムマシンのように、均質なパルスを人間の手で生成するアプローチとも言えます。オマー・ハキムは、電子機器の特性を深く理解し、その性能を最大限に引き出すための身体性を自ら構築したのです。
ダイナミクスの精密なコントロールの必要性
オマー・ハキムの演奏が80年代を象徴するサウンドとなり得たのは、彼が極めて高い精度でストロークのダイナミクスを制御できたからです。
彼の演奏は、単に力強く叩いているだけではありません。それは「電子的に制御されたパワー」と表現するのが適切です。ゲートリバーブのスレッショルド値を常に安定して超えるアタックを維持しつつ、楽曲のグルーヴを損なわない。この高度な技術が、ダイアー・ストレイツの『Brothers in Arms』やデヴィッド・ボウイの『Let’s Dance』といった歴史的なアルバムのサウンドを支えました。
つまり、80年代のあのスネアサウンドは、エフェクターの進化だけで生まれたものではありません。テクノロジーが提示した新たな可能性に対し、ドラマーの身体性が応答し、奏法そのものを変容させた結果生まれた、複合的な成果物でした。
機材と奏法の相互作用という視点
オマー・ハキムとゲートリバーブの関係は、音楽の歴史において普遍的に見られる「機材と奏法の相互作用」の一つの顕著な例です。
例えば、ドラムセットにハイハット・スタンドが導入されたことで、ドラマーは左足でリズムを刻みながら両手で複雑なパターンを演奏するという、新たな奏法を発展させました。ダブル・ベースドラム・ペダルの登場は、特定の音楽ジャンルにおける高速のフットワークを可能にしました。
テクノロジーは、単に既存の表現を補助する道具に留まりません。それは時に、人間の身体的な可能性を拡張し、新たな音楽表現そのものを生み出す触媒として機能します。エレクトリックギターがディストーションサウンドを前提とした奏法を生んだように、ゲートリバーブはオマー・ハキムに「エレクトリック・ストローク」という新しい身体性を促し、彼はそれに的確に対応したのです。
この視点を持つことで、私たちは単なる懐古趣味として80年代の音楽を消費するのではなく、テクノロジーと人間の創造性が相互に作用した、歴史の一例として理解することができます。
まとめ
オマー・ハキムが80年代に示した演奏は、単なる優れた記録以上の意味を持ちます。それは、ゲートリバーブという電子技術の特性を深く理解し、その要求に応えるために自らのストローク、すなわち身体性を変容させた、奏法における大きな変化でした。
80年代特有のスネアサウンドの再現を考える場合、リバーブのパラメーター調整に加え、自身のストロークを見直すというアプローチも考えられます。一打ごとのアタックの強さやその均一性など、エフェクターが要求する音を自身の身体で生成するという意識を持つことで、サウンドメイクに対する新たな視点が得られる可能性があります。
当メディアにおける『ドラム知識』の探求は、こうした機材と奏法の相互作用の歴史を読み解き、音楽への理解をより本質的なレベルへと深めていく試みです。今後も、テクノロジーと人間の身体性が織りなす音楽の進化について、多角的な視点から探求を続けていきます。







