くるりの『アンテナ』を聴いて、ドラムに耳を持っていかれた方は多いと思います。叩いているのはクリストファー・マグワイアというアメリカ人です。在籍していたのは、1年に満たない期間でした。
ではその人は、いま何をしているのか。日本語で読める情報は、だいたい2004年の脱退で止まっています。現在の活動については、分かりませんでした、で終わっている記事がほとんどです。2017年に書かれた個人ブログにも、彼の現在はいっこうに見つからない、という一文が残っています。
この記事では、英語圏の一次資料まで含めて、たどれる範囲を年代順に並べます。結論を先に書きます。彼の演奏がクレジットされた記録は、2016年で途切れています。
くるりに在籍したのは、2003年11月からの11か月だけである
マグワイアがくるりと関わりはじめたのは、2003年の夏です。夏のフェス出演のために、一時的なサポートとして呼ばれました。
そのまま定着し、2003年11月に正式メンバーになります。翌2004年10月、脱退が発表されました。正式メンバーだった期間は11か月です。
在籍中に参加したアルバムは『アンテナ』の1枚だけでした。発表された脱退理由は、音楽性の違いという一点のみです。日本語圏には、生活面の事情を挙げる説がいくつか流通していますが、出典をたどれるものは見当たりません。
マグワイアは、10代で作ったバンドで7年間叩いていた
くるりに来る前、彼にはすでに長い経歴がありました。1975年11月28日生まれ。オハイオ州オックスフォードで育っています。母親が歌手、父親がオルガン奏者という家庭でした。
1992年、高校の同級生たちと12 Rodsを結成します。1995年に拠点をミネアポリスへ移し、翌1996年にEP『gay?』を発表しました。この作品は、音楽サイトのPitchforkが同誌の歴史でも数えるほどしか出していない10点満点をつけたことで注目されます。1曲目に置かれた「Red」を叩いているのが、マグワイアです。
1998年に『Split Personalities』、2000年にトッド・ラングレンをプロデューサーに迎えた『Separation Anxieties』が出ました。彼はこの3枚目の録音を終えた1999年9月末にバンドを離れています。12 Rodsのドラマーとして数えると、在籍は7年です。
くるりを辞めたあと、マグワイアはどこで叩いていたのか
アメリカへ戻った彼は、セッションドラマーとして幅広く演奏しています。ここは記録がしっかり残っている時期です。
2004年だけでも、ザ・マウンテン・ゴーツの『We Shall All Be Healed』、ジョン・ヴァンダースライスの『Cellar Door』、ザ・コート・アンド・スパークの『Witch Season』、そしてキッド・ダコタの『The West Is the Future』にクレジットされています。翌2005年には、東京のバンド、スクアッドカーの2作目をプロデューサーとして手がけました。
その後も出身地オックスフォードのバンド、パピーズで2007年と2011年に作品を出しています。2010年にはコミュニスト・ドーターの『Soundtrack to the End』に参加しました。同じ2010年、日本のバンド、ルミナス・オレンジの『Songs of Innocence』にも名前があります。この録音のために、彼は2009年11月に来日していました。
12 Rodsは再結成しているが、そのドラムはマグワイアではない
ここが混同されやすいところです。12 Rodsは実際に再結成していますし、その映像も出回っています。ただし、時期によって中身が違います。
2015年1月16日、ミネアポリスのファースト・アヴェニューで一夜限りの再結成公演が行われました。旧作の再発に合わせた同窓会的な公演で、マグワイアもここに参加しています。この日の模様はドキュメンタリー『Accidents Waiting to Happen』のために撮影され、映画は2017年4月にミネアポリス・セントポール国際映画祭で上映されました。
もう一つの再結成は、これとは別物です。2021年9月、フロントマンのライアン・オルコットが単独で新作を作ると発表します。2023年6月に新しいラインナップが公開され、7月にアルバム『If We Stayed Alive』が出ました。このときのドラマーはアレック・トンジェスで、マグワイアは関わっていません。
その後の展開も書いておきます。2025年6月14日、オルコットはメンバー全員を解雇したと告知し、バンドは活動を止めました。同年11月には彼自身のソロ公演が発表され、12月には12 Rods名義での北米ソロツアーが明らかになっています。つまり、いまの12 Rodsはオルコット一人のプロジェクトです。ネット上で見かける近年の12 Rodsの演奏に、マグワイアは含まれていません。
たどれる音源は、2016年で途切れている
彼の名前がクレジットされた録音で、いちばん新しいものは2016年9月27日に公開された「So Real」という曲です。トアレッドというユニットの楽曲で、ドラムセットにマグワイアの名前があります。2015年の再結成公演の、ちょうど翌年にあたります。
そこから先が見当たりません。新譜のクレジット、ツアーの記録、公式の告知。どれを探しても2016年より後に届きません。
ここは事実と解釈を分けておきます。記録が途切れていることと、演奏をやめたことは、同じではありません。セッションの仕事もレッスンも、公開されるクレジットには残らないことのほうが多いからです。英語版のWikipediaは、彼をいまもウィスコンシン州ミルウォーキーを拠点とするセッションドラマー、ドラム講師、プロデューサーだと書いています。ただしその記述の出典は、2007年に参照された本人サイトです。書かれている内容が現在の状況を指しているとは限りません。
本人のサイトは、いま開いても何も返ってこない
その本人サイトのアドレスは drumsetplayer.com といいます。ドラムセットプレーヤー、という名前です。
これは彼自身のこだわりから来ています。自分のセッティングと演奏は単なるドラムスとは違うという理由で、ドラマーではなくドラムセットプレーヤーと名乗っていました。サイト名がそのまま名刺になっているわけです。
このアドレスは、Wikipediaの脚注に2007年4月5日参照として残っています。いま開いても、内容は返ってきません。日本語圏で情報が出てこない理由の一つは、ここにあります。彼について一番確度の高い一次情報を置いていた場所が、もう存在しないのです。
よくある疑問
Q:クリストファー・マグワイアは、いま音楽をやめているのですか。
A:やめたという発表はありません。確認できるのは、2016年以降に公開されたクレジットが見つからない、という一点だけです。引退の告知が出ることは、演奏家の場合ほとんどありません。表に出る記録が止まっただけなのか、実際に演奏から離れたのかは、公開情報からは判別できません。
Q:2015年の再結成ライブの映像に彼が映っています。あれは最近のものではないのですか。
A:2015年1月16日の公演です。旧作の再発に合わせた一夜限りの企画で、11年前の記録にあたります。2023年から2025年にかけて行われた12 Rodsのツアーとは、メンバーも時期も別物です。
Q:くるり脱退の本当の理由は何だったのですか。
A:公式に発表されたのは、音楽性の違いという説明だけです。それ以外の理由は、どれも出典をたどれませんでした。本人もバンドも、それ以上のことを語っていません。
彼のドラムは、いまも聴ける場所に残っている
新しい音を待つことと、すでに鳴っている音をもう一度聴くことは、別のことです。後者のほうは、いまも手が届きます。
日本のリスナーにとって近いのは、やはり『アンテナ』です。同じ人が叩いているとは思えないほど、曲によって表情が変わります。そこからさかのぼるなら、1996年の『gay?』と1998年の『Split Personalities』が、20代前半の彼の音です。2004年前後のセッション仕事を追いたいなら、ザ・マウンテン・ゴーツやジョン・ヴァンダースライスの作品にも入っています。
2015年の再結成公演も、音源としてバンドの公式Bandcampに残っています。同窓会の一夜が、そのまま記録になっている形です。
映像で見分けたい方のために、一つだけ手がかりを書いておきます。彼はクラッシュシンバルの位置が極端に高いことで知られています。腕を伸ばし切って頭上を叩く姿は、一度覚えると遠目でも分かります。
好きな演奏者の現在が追えなくなるのは、寂しいことです。ただ、追えないという結果そのものも、一つの記録ではあります。あなたが最初に手を止めたのは、どの一音だったでしょうか。







