疲れが取れません。調べてみると、疲労の種類は肉体疲労と精神疲労と神経疲労の3つに分かれる、と書いてあります。読み比べて、自分はたぶんこれだろうと当たりを付ける。そこに勧められている方法を試す。入浴、軽いストレッチ、気分転換。それでも翌朝の身体は、前の日と同じままでした。
疲れの分け方について、世の中で言われていることは、だいたい共通しています。運動で疲れたなら肉体疲労、人間関係やプレッシャーで疲れたなら精神疲労、画面を見続けたなら神経疲労。原因の側から3つに分ける、という説明です。
この記事が立てる問いは、その分け方のほうにあります。3つに分けたはずなのに、勧められる方法がどれもだいたい同じになるのは、なぜでしょうか。
疲労を3つに分けても、勧められる休み方は全部同じになる
疲労の種類を扱った記事を並べて読むと、ひとつのことに気づきます。
肉体疲労には、ストレッチと入浴と血行の改善。精神疲労には、気分転換と趣味と入浴。神経疲労には、画面を減らすことと休息と入浴。3つに分けたはずなのに、出口が重なっています。
分類というのは、そのあとの対処を変えるためにあるものです。出口が同じなら、分けたこと自体が何も足していないことになります。3つを読み比べて自分の型を決めた作業は、そこで無駄になります。
理由は、分け方のほうにあります。この3つは疲れが起きた原因を分けているだけで、その人が明日どう過ごせばいいかを分けているわけではありません。
筋肉が乳酸で疲れるという説明は、20年以上前に否定されている
分け方の土台になっている説明も、いまでは古くなっています。
肉体疲労の解説には、たいてい乳酸が出てきます。筋肉を使いすぎると乳酸が溜まり、それが疲労を起こす、という説明です。日本語の記事では、いまも普通に書かれています。
この説明は、専門の領域では2004年に覆されました。ロバート・ロバーグス、ファーゼナ・ギアスバンド、ダリル・パーカーの3人が、American Journal of Physiology 誌に「運動によって起こる代謝性アシドーシスの生化学」という論文を発表しています。この論文が示したのは、順序が逆だということです。
激しい運動で身体が酸性に傾く原因は、乳酸ではありませんでした。エネルギーを取り出す過程そのものから水素イオンが出ていて、酸性にしているのはそちらです。乳酸ができる反応のほうは、むしろその水素イオンを受け取る側に回っています。乳酸は酸性化を起こしている側ではなく、酸性化を遅らせながら一緒に増えていく目印だった、という整理になります。
いま疲労の主な原因として挙げられているのは、無機リン酸のほうです。クレアチンリン酸が分解されるときに増えるもので、乳酸とは別の物質です。
ここで確認できるのは、乳酸を疲労物質と呼ぶ説明が20年以上前に否定されていた、という事実だけです。乳酸を流すという発想で組まれた回復法が全部効かない、という意味ではありません。入浴もストレッチも、別の理由で身体には効きます。
頭を90分使うと、身体の数値は変わらないまま、脚が先に止まる
3つの分類が独立していないことは、実験でも出ています。
サミュエル・マルコラ、ウォルター・スタイアーノ、ヴァレリー・マニングの3人が、2009年に Journal of Applied Physiology 誌で報告した研究があります。16人の被験者が、2つの条件で自転車を漕ぎました。片方は負荷の高い認知課題を90分やったあと、もう片方は感情に触れない記録映像を90分見たあとです。
漕ぐ強度は最大出力の80%で、疲れ果てるまで続けます。認知課題のあとは640秒で止まり、映像を見たあとは754秒でした。100秒以上の差が出ています。
この研究のいちばん重要な部分は、その先にあります。心肺の反応も、筋肉のエネルギーに関わる指標も、2つの条件でほとんど変わっていませんでした。変わったのは、本人が感じるきつさだけでした。
頭を使ったあとの身体は、身体としては同じ状態のまま、先に音を上げます。精神疲労と肉体疲労は、分類の上では別の箱に入っていますが、身体の上ではつながっています。
同じウォーキングが、ある人には回復になり、ある人には追い打ちになる
ここから、分け方そのものを組み替えます。
一日に2時間ほど楽器を叩く人を考えてみてください。ドラムのような楽器は腕だけの動作ではなく全身の運動なので、続けて叩けば心拍もそれなりに上がります。この人が、疲れが取れないからと言って、夕方にランニングを足したとします。
分類に従えば、正しい選択に見えます。座っている時間が長い人は身体を動かしたほうがいいし、血行も良くしたほうがいい。どの記事にもそう書いてあります。
けれども、この人の心拍を上げる枠は、もう埋まっています。そこへ有酸素運動を足せば、心臓と血管にかかる負荷が二重になります。回復のためにやったことが、回復を削る側に回ります。
同じ人がウォーキングを選んだ場合は、話が変わります。歩行は心拍をほとんど上げません。身体は動き、血流は促され、固まった筋肉はゆるみます。上げる側の枠には触れないまま、動かす側の効果だけが残ります。
そして、一日中パソコンに向かっていた人には、これが逆になります。その人の心拍を上げる枠は空いているので、同じランニングが、足りていないものを足す行為になります。
ここは私の解釈です。心拍を上げる活動を一日にいくつまで入れてよいか、という研究を見つけたわけではありません。ここで言えるのは、回復のつもりでやることが、その日すでにやったことと重なる場合がある、という一点だけです。
種類が分かれているのは、疲れの側ではなく、その日に使ったものの側である
ここが、この記事の中心です。
疲れは、疲れとして3種類に分かれているわけではありません。分かれているのは、その日に何を使ったかのほうです。
同じ2時間の散歩が、座り続けた日には回復になり、立ち仕事をした日には追い打ちになります。同じ読書が、人と話し続けた日には回復になり、書類を読み続けた日には仕事の続きになります。活動そのものには、回復か消耗かという性質が付いていません。
だから、回復の方法そのものは固定できません。固定できるのは選び方だけで、今日いちばん長く使ったものを見て、それを使わないものを選ぶ。中身はその日によって入れ替わります。
この見方に立つと、ひとつ意外な結果が出てきます。身体を動かすことと、じっと止まっていることが、同じ枠に入るのです。頭を使い続けた日には、歩くことも、椅子で何もしないことも、どちらも頭を使わないという点では同じ働きをします。動くか止まるかは、その日の気分で決めてよいことになります。
何もしない時間に、頭のほうは動き続けている
ただし、使わないという選び方には、落とし穴がひとつあります。
身体が止まっているとき、頭は止まっていません。ハーバード大学のマシュー・キリングスワースとダニエル・ギルバートが、2010年に Science 誌で報告した研究があります。2,250人から約25万件の記録を集めたところ、人は起きている時間の46.9%を、目の前で起きていること以外について考えて過ごしていました。しかも、そうしているあいだの気分は、目の前のことに向き合っているときより悪くなっていました。
だから、椅子に座って何もしないだけでは、頭を使わない時間になりません。予定を思い出し、返事を考え、昨日のやり取りを何度も再生します。使わないつもりの時間に、いちばん使っているものを使っています。
対処は、頭の中を止めることではありません。止めようとすると、止めるという操作がまた頭を使います。ものごとを0か100かで決める人ほど、完全に止めようとして、そこで消耗します。
やることはひとつだけです。浮かんだものを追いかけない。考えが出てきても、続きを作りにいかない。出たまま流しておきます。
睡眠だけは、何を使ったかに関係なく必要である
ここまでの話には、例外がひとつあります。睡眠です。
睡眠は、その日に使ったものの裏返しではありません。何をした日でも同じだけ必要な、別の種類の回復です。
ルル・シエらの研究チームが、2013年に Science 誌で報告した内容があります。マウスを対象にした実験で、自然な睡眠中と麻酔中には、脳の細胞と細胞のあいだの隙間が60%広がっていました。その結果、脳脊髄液と組織のあいだで液の入れ替わりが大きく増え、起きているあいだに溜まるアミロイドβという物質が、より速く運び出されていました。責任著者はロチェスター大学のマイケン・ネーダーガードです。
これはマウスの実験であり、人の脳で同じ倍率が確かめられたわけではありません。ここで言えるのは、睡眠中の脳が、起きているときとは違う片付けをしているらしい、という事実までです。
意味するところは、はっきりしています。睡眠中の片付けは、起きたまま入力を減らしても代わりになりません。逆に、睡眠を9時間に伸ばしたところで、起きているあいだの使い方が偏っていれば、そちらの疲れは残ります。どちらか一方では足りません。
よくある疑問
Q:自分の疲労がどの種類なのか、結局どうやって見分ければいいのでしょうか。
A:見分ける必要はありません。見るのは疲れではなく、その日の使い方です。今日いちばん長く使ったものを一つ挙げて、それを使わない過ごし方を選んでください。画面を見続けた日なら画面を使わないもの、人と話し続けた日なら言葉を使わないもの、身体を動かし続けた日なら身体を使わないものになります。疲れの側に名前を付けても、次にやることは決まりません。
この見方のコストを、正直に書いておく
この選び方には、はっきりした代償があります。
毎日、休み方が変わるので、これは習慣にできません。決まった時間に決まったことをやる形に落とせないので、続けること自体は分類に従うより難しくなります。毎晩ストレッチをすると決めたほうが、実行できた回数だけを見れば多くなるはずです。
もうひとつ、この見方は逃げ道にもなります。今日は頭を使ったから動かない、今日は身体を使ったから考えない。そう言い続けて、どちらも中途半端に終わることがあります。使っていないものを選ぶという基準は、やらない理由を作るのにも使えてしまいます。
公平を期すために、逆側も書きます。分類が役に立つ場面はあって、疲れが半年以上続き、日常生活に支障が出ているなら、それは休み方の問題ではありません。そこは医療の領域なので、専門家に相談することを検討してみてください。この記事が扱っているのは、休めば戻るはずの疲れが戻らない、という範囲の話です。
判断基準は、今日いちばん長く使ったものは何か
最後に、持ち帰れる形にしておきます。
一日の終わりに、ひとつだけ数えてみてください。今日、いちばん長く使っていたものは何か。目か、言葉か、人との駆け引きか、脚か、指か。だいたいで構いません。
そして、それを使わないことを選びます。何をするかまでは決まっておらず、決まっているのは何をしないかだけです。歩いてもいいし、座っていてもいい。頭を使い続けた日には、そのどちらもが同じ働きをします。
疲労の種類を先に決めようとすると、疲れという曖昧なものを相手にすることになります。使ったものなら、思い出せます。時計を見ればだいたい分かるので、手がかりとしてはこちらのほうが確かです。
あなたが今日いちばん長く使っていたのは、何ですか。







