社内ルールが増えすぎるのは、上司のせいではなく、助言する側が断定を避けるからである

規程集を開くと、自分が読んだことのない項目が並んでいます。いつ追加されたのか分かりません。誰が必要だと言ったのかも分かりません。それでも消せないまま、毎年少しずつ増えていきます。

よく言われる原因は、だいたい3つです。管理したがる上司がいる。現場の声を聞かずに作っている。周知が足りていない。どれも間違ってはいません。

ただ、この3つでは説明がつかないことがあります。社内ルールが増えすぎている会社の多くは、現場の意見も聞いていますし、定期的な見直しもしています。それでも減りません。この記事が立てる問いは一つです。増えた一行一行を、いったい誰が必要だと決めたのでしょうか。

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助言する側は、断定しないほうが安全である

外部の専門家にリスクを洗い出してもらうと、報告書が返ってきます。その文書の語尾だけを追ってみてください。

「〜が望ましい」「〜を検討すべきである」「〜が推奨される」。断定している行は、ほとんど見つからないはずです。

これは手抜きではありません。助言する側にとって、断定を避けることが最も合理的だからです。

「これは不要です」と書いた一行は、後で事故が起きたときに証拠として残ります。逆に「望ましい」と書いておけば、実施されずに事故が起きても、指摘はしていたことになります。実施されて無駄になっても、強制はしていないことになります。

どちらに転んでも、助言した側の責任は残りません。断定を避けることは、助言する人にとって常に最適な選択です。

私自身、社内ルールの相談を受けたときに同じことをしました。必須の項目と任意の項目を並べて、両方を提示したのです。相談してきた人から「どっちなんですか」と聞かれて、そこで初めて必須の範囲を絞りました。聞かれなければ、両方を並べたままにしていたと思います。

「望ましい」と書かれたものは、受け取る側で「やらなければいけない」に変わる

ここで、文書が人の手に渡ります。そして語尾が消えます。

受け取った担当者は、報告書の項目を社内ルールに落としていきます。このとき「望ましい」も「推奨される」も、すべて「やること」として書き写されます。

理由は単純です。担当者が恐れているのは、事故そのものではないからです。

恐れているのは、指摘されていたのにやらなかった、という記録が残ることです。

入れる判断には、自分の名前が要りません。指摘に従っただけだからです。一方、入れない判断には自分の名前が要ります。誰かが不要だと決めなければ、外せないからです。

こうして、誰も必要だと決めていない一行が、規程の中に積み上がっていきます。

医師の4人に3人が、患者のためではなく自分のために検査を出している

同じ構造が、まったく別の領域で測定されています。医療です。

2023年、International Journal for Quality in Health Care に、防御的医療についての系統的レビューとメタ分析が掲載されました。Shen, Jie らの研究で、23か国の医師3万5900人を対象にした64本の研究をまとめたものです。

防御的医療のプール有病率は75.8%でした。医師の4人に3人が、医学的な必要性ではなく訴訟への懸念から、検査や処置を追加しているという結果です。

論文には、この行動が患者の最善の利益ではなく訴訟や医療過誤請求への懸念によって動機づけられている、と書かれています。

ここからは私の解釈です。医療と法務助言を並べて比較した研究があるわけではありませんし、両者に因果関係があるわけでもありません。ただ、構造は同じに見えます。判断する人が、判断の結果ではなく判断した記録に対して責任を負う立場にあるとき、その人は必ず多い側へ倒れます。

一度事故が起きた組織では、ルールが増える速度が上がる

同じメタ分析には、もう一つの数字があります。過去に医療訴訟を経験した医師は、防御的医療をとる確率が高くなっていました。オッズ比は1.65、95%信頼区間は1.13から2.18です。

一度経験すると、その後の行動が変わる。この関係が統計的に確認されています。

組織でも、同じことが起きているように見えます。不祥事や事故が一度あった会社では、その後に規程が急速に増えます。再発防止策という名前がつくので、誰も反対できません。

ただし、増えた項目のうち、その事故と直接関係するものは一部です。残りは今回の件を機にあわせて整備しておく、という形で入ります。この「あわせて」の部分に、誰も必要だと決めていない一行が混じります。

減らす判断だけは、誰も引き受けられない

ここまで読んで、周知はしている、研修もしている、現場の意見も聞いている、定期的な見直しもやっている、と思われた方がいると思います。おそらく、そのすべてが実施されています。

それでも減りません。理由は、見直しの場にあります。

見直しの会議では、誰かがこの項目は要らないと言う必要があります。しかし、そう言った人の名前だけが議事録に残ります。

増やすときには、外部の指摘という根拠がありました。減らすときには、根拠がありません。あるのは、その人が要らないと判断したという事実だけです。

だから定期的な見直しは、実際には確認の作業になります。全部の項目を読み上げて、全部を残して、見直したという記録を作る。これを毎年繰り返します。

それでも全部入れるほうが、担当者個人にとっては正しい

公平を期すために、逆側も書きます。

ここまで私は、指摘されたものを全部入れるべきではない、という前提で書いてきました。しかし担当者の立場から見ると、全部入れるほうが正しい選択です。

外した一行が原因で事故が起きた場合、責任を負うのは外すと判断した担当者です。その判断を組織として引き受ける仕組みがなければ、個人が全部を背負うことになります。

そんなリスクを取る理由は、担当者にはありません。全部入れておけば、少なくとも自分は守られます。現場が守れない量になったとしても、それは現場の問題として処理されます。

つまり、これは担当者の判断力の問題ではありません。判断した人を組織が守らない、という設計の問題です。社内ルールを減らしたいなら、不要だと判断した人が責められない状態を、先に作る必要があります。

判断基準は、その一行を誰が必要だと決めたかである

明日から使える形にすると、やることは2つです。

1つ目は、規程を一行ずつ見て、誰が必要だと決めたのかを確かめることです。

答えが弁護士に言われたから、監査で指摘されたから、前任者が入れたから、であれば、その一行は誰も決めていません。外部の指摘は判断の材料であって、判断そのものではないからです。社内の誰かが必要だと決めた一行と、指摘をそのまま写した一行は、区別できます。

2つ目は、専門家に相談するときの聞き方を変えることです。

どうすべきですか、と聞くと、網羅的な答えが返ってきます。相手は、抜けがある状態を最も恐れているからです。

これで足りていますか、と聞くと、範囲の中の答えが返ってきます。範囲を決めるのは自分で、相手はその中で見ることになります。

同じ相手に同じ論点を相談しても、返ってくる量が変わります。問いの形が、答えの量を決めています。

よくある疑問

Q:専門家の指摘を入れないと、何かあったときに困るのではないでしょうか。

A:指摘を入れたかどうかではなく、その指摘が自社にとって必要かを社内で判断したかどうかが問われます。判断した記録が残っていれば、入れなかった項目があっても説明はできます。むしろ困るのは、指摘をそのまま写しただけで、なぜその項目があるのかを誰も説明できない状態のほうです。

Q:どの項目を減らすか、どうやって選べばよいですか。

A:現場に聞くのが最も速い方法です。実際に守られていない項目を挙げてもらうと、そこに集中します。守られていない項目は、必要ないか、実行できないかのどちらかです。どちらであっても、規程に残しておく理由はありません。

Q:助言を求めるべきではない、ということでしょうか。

A:そうではありません。リスクを洗い出す作業は、外部の人にしかできません。ただし、洗い出したものをそのままルールにするのは別の作業です。この2つを同じ人にやらせると、量が最大化されます。

増えた社内ルールは、誰かが要らないと言うまで残る

社内ルールは、放っておいても減りません。増えるほうには外部の指摘という力がかかり続けますが、減るほうには何の力もかかりません。

だから減らすには、誰かが要らないと言う必要があります。そして、そう言った人が責められない状態を、先に作っておく必要があります。

いま手元にある規程集を開いてみてください。目に入った一行は、誰が必要だと決めたものでしょうか。

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