役割が曖昧だ。誰が責任者なのか、社内の誰に聞いても同じ答えが返ってこないし、評価の基準も言葉になっていない。うちはずっとこれでやってきた、と思いながら、これでいいのかとも思っている。
外から言われることは、だいたい決まっています。役割を定義しなさい。責任者を一人決めて、成果を数字で測りなさい。どれも正論に見えますし、実際に多くの痛みは、これで解消します。
この文章が立てる問いは違います。曖昧さを残してきたことのほうに、理由があったのではないでしょうか。
完成度がいちばん高かった生き物が、環境の変化で先に消えた
三葉虫という生き物がいました。約5億2100万年前のカンブリア紀前期に現れ、約2億5200万年前のペルム紀末の大量絶滅で消えるまで、およそ2億7000万年続いています。恐竜の存続期間より長い時間です。
三葉虫は完成度の高い生き物でした。外骨格を持ち、複雑な複眼を持ち、海のあらゆる生態的地位に入り込み、2万種以上が記載されています。当時の海の支配者と呼んで差し支えありません。
その三葉虫が、環境が変わったときに消えました。
ここは注意深く言っておきます。外骨格を持っていたから絶滅した、という単純な因果は証明されていません。ペルム紀末の大量絶滅は海洋生物種の9割以上を消しており、原因は火山活動、海洋酸性化、無酸素化など複合的です。ここで指摘できるのは、完成度の高さは存続を保証しなかった、という事実だけです。
人類が生き残ったのは、体を何にも決めなかったからである
人類の体を、他の動物と並べて見てください。
牙も爪もありませんし、毛皮も薄く、走力も並です。単独で戦えば、同じ体重の哺乳類にまず勝てません。何一つ特化していない体です。
その体で、人類は何をしたか。石を削ってナイフを作れば肉食獣になり、火を使えば消化の一部を体の外に出しました。農耕を始めれば草食に寄り、いまは北極圏でも赤道直下でも暮らしています。
体を決めなかったからこそ、道具で決定を先送りできました。これが人類の設計思想です。
決めなかった生き物も、骨組みだけは決めていた
ここが肝心なところです。
脊椎動物は、何もかもを決めなかったわけではありません。内骨格を持ち、左右対称で、管状の消化器を持つ。この設計だけは、5億年動かしていません。決めなかったのはその先の形のほうで、同じ設計図からクジラもコウモリもヘビも作られています。
三葉虫は、決定を体そのものに持っていました。外骨格は骨組みと形が一体になっているので、形を変えるには骨組みから作り直すしかありません。
分かれ目は決めたかどうかではなく、決める層と決めない層を分けたかどうかです。
日本の会社が長く続いてきたのも、輪郭を決めない型による
ここからは私の解釈です。学説として確立された議論ではありませんので、そのつもりで読んでください。
日本の社会には、輪郭を決めないことで長く続いてきた仕組みがいくつもあります。
天皇という権威があり、実権は摂関、院政、幕府と移りますが、権威の側は倒されません。権威と権力を分離したまま、千年以上運用してきました。上を潰さずに実質だけを取るという、かなり珍しい構造です。
伊勢神宮の式年遷宮は、20年ごとに建て替えながら同じものを作り、永続性を物ではなく反復に置いています。神仏習合もそうで、矛盾する二つを、どちらかに決めずに並べたまま置いています。
脊椎動物の可塑性と、この型に因果関係があるわけではありません。ただ、決めないものが長くもつという現象が、生物と社会という別の層で同じように起きているとは言えそうです。
誰の手柄かを決めない会社は、誰も辞めさせずに済む会社である
なぜ決めないと続くのか、ここからは構造の話になります。
人類学者のデヴィッド・グレーバーは、2011年の著作『負債論』で、義務と債務を区別しています。債務は正確に数量化できるという点で、他のあらゆる義務と異なる。そして数量化できるからこそ、債務は単純で、冷たく、非人格的なものになり、その結果として譲渡可能になる、と。
彼はこう説明します。誰かに恩義を負っているなら、それはその人に対して負っている。しかし12パーセントの利息で4万ドルを負っているなら、債権者が誰であるかは問題にならない。
数量化は、相手を人格として扱う必要をなくします。
手柄を明確にすると、その手柄は数量化され、数量化されたものは清算できます。そして清算できる関係は、清算した瞬間に終われる関係です。
逆に曖昧なままにしておくと、貢献が測られない代わりに、貢献不足も測られません。今期は成果が出なかったという事実が、数字として立ち上がらない。だから、切られません。
役割を明確にするとは、社員が辞めても構わない関係に変えることである
英語のpayという語の語源を辿ると、意外なところに行き着きます。
語源辞典etymonlineによれば、1200年頃の英語paienは「なだめる、鎮める、満足させる」の意でした。古フランス語paierを経て、ラテン語pacareに遡ります。pacareは文字通り「平和にする」であり、その語源はpax、つまり平和です。財やサービスの対価を支払うという意味は中世ラテン語で生じ、英語では13世紀初頭に確認されます。そして「なだめる」という意味は、1500年までに英語から消えました。
支払いとは、もともと相手をなだめて、揉め事を平和に収める行為でした。なだめて、終わらせる。
つまり、明確にするとは数量化することであり、数量化するとは清算できるようにすることであり、清算できるとは終われるようにすることです。
だから役割を明確にするとき、あなたは同時に、辞められる可能性のほうも選んでいます。
これは明確化が悪いという話ではありませんし、測られたい人にとって明確化は解放です。ただ、明確化は無料ではない、という話です。
Q:役割と評価を明確にすると、うちの会社は何を失いますか。
A:失うのは、成果が出ない期間の社員を抱えておける余地です。測れるようにするとは、測って足りないと判定できるようにすることでもあります。処方としては正しいのですが、代金は発生します。
決めないまま置くことのコストを、正直に書いておく
公平を期すために、逆側も書きます。
決めないことで、いちばん損をするのは、測れる成果を出した人です。人事評価の仕組みはたいてい測れるものを測るように作られていて、測られないものは存在しないのと同じ扱いになります。だから曖昧な組織では、数字を作った人が報われません。
もう一つあります。清算されない負債は、無限責任に転じます。返しきれないから続く、を裏返せば、いつまでも解放されない、になります。年貢も、村八分も、戦後の企業への全人格的な献身も、同じ構造の上にありました。
そして曖昧さは、守るためにも、取り出すためにも使えます。構造としては同じで、目的だけが違います。成果の確認は返らないまま、要求の側だけが毎回はっきり上がっていくなら、それはもう守るための曖昧さではありません。
決めるべきなのは事業の中身ではなく、事業が変わっても残る機能である
では、あなたは何を決めればよいのか。
骨組みにあたるのは、商材でも組織図でも職種名でもなく、それらは形のほうです。骨組みにあたるのは、環境が変わっても変わらない機能です。この会社は誰の何を引き受けているのか、何屋になっても続けることは何か。
形は変えてかまいません。商材も、体制も、職種も、価格も、売り先もそうです。ここを固定すると、その市場が終わったときに骨組みから作り直すことになり、三葉虫と同じ構造になります。
逆に骨組みまで曖昧にすると形も定まらず、何も決めずに漂う会社は、これはこれで折れます。
見分け方をもう一つ渡しますので、報酬の側を見てください。貢献は曖昧なまま、報酬だけが毎月きれいに清算されているなら、それは切らない装置ではありません。関係としては切らないのに金銭としては切っている、両方の悪いところを取った状態です。
あなたの会社で、変えないと決めているものは何か
まとめます。
完成度の高さは、存続を保証しませんでした。生き残ったのは、骨組みだけを決めて、形を決めなかった側です。日本の社会が長くもってきたのも、輪郭を決めない型によるものだと考えられます。そして日本の組織の曖昧さは、隠すための仕組みである前に、切らないための仕組みとして機能してきました。
明確化を進めるかどうかは、あなたが決めることです。ただ、明確化とは清算できるようにすることであり、清算できるとは終われるようにすることだ、という代金の部分だけは、先に見ておいたほうがよいと思います。
決めるべきかどうか、ではありません。どこを決めて、どこを決めないままにしておくか、です。
あなたの会社で、環境が変わっても変えないと決めているものは、何でしょうか。
