リスク評価書で問われているのは、リスクの高さではなく、自社の個別具体的な特性である

ひな型をダウンロードした。記載例も手元にある。それなのに、画面の前で手が止まる。

上から順に埋めていくと、思っていたよりずっと早く終わってしまいます。そして埋め終わったあとに、これでよかったのだろうかという感触だけが残る。

世の中に流通している答えは、だいたい3つです。期限までに作れば問題ない。ひな型どおりに埋めれば形式は満たせる。まずは一度作ってしまうことが大事だ。どれも間違ってはいませんし、実際そのとおりに進めれば書類はできあがります。

この記事が立てる問いは違います。埋め終わったその書類は、そのあと何に使われるのでしょうか。

目次

ひな型の欄は、写す欄と決める欄に分かれる

リスク評価書の欄には、性質のまったく違う2種類が混ざっています。

一つは、外部にすでに答えがある欄です。国が公表している資料を確認し、そこに書かれている内容を自社の書式へ移していく。この記事では、これを写す欄と呼びます。

もう一つは、外部のどこを探しても答えが見つからない欄です。自社の営業実態を調べ、自分で判断して書き込むしかありません。これを決める欄と呼びます。

書類の上では、同じ大きさの枠に見える

この2つは、書式の上でまったく区別されていません。同じフォントで、同じ罫線に囲まれ、隣り合って並んでいます。だから作業としては地続きに感じられ、つい同じ手つきで処理してしまいます。

けれども、この2つはまったく別の作業です。写す欄を埋めるのは調べる作業であり、決める欄を埋めるのは判断する作業だからです。

写す欄は、写せば終わる

リスク評価書の第1章にあたる部分は、ほぼ全部が写す欄です。

犯罪収益移転危険度調査書という資料があります。国家公安委員会が毎年公表しているもので、どの業種のどの取引が悪用されやすいか、どの国や地域の危険度が高いかが分析されています。第1章は、この資料から自社の業種に関係する箇所を持ってくるための欄です。

業界団体が用意している記載例には、この転記を済ませた文章がそのまま入っていることがあります。その場合、第1章は写すだけで完成します。

高リスクの判定も、すでに決まっている

高リスク類型を整理した総括表のような添付資料も、その多くは写す欄です。どの取引形態が高リスクか、どの顧客属性が高リスクかは、国の評価結果として最初から確定しています。書式によっては、その欄は変更も追記もしないようにと注記されているほどです。

自社が書き込むのは、その取引を扱っているかどうかの印だけです。対応方針を書く最終章も、あらかじめ用意された選択肢から選ぶ形式になっていることがあります。国が整理した分析を各社が一から作り直す必要はないので、この設計自体は合理的なものです。

つまりリスク評価書の大半は、調べて写すことで埋まります。手が早ければ半日で終わりますし、その速さ自体は悪いことではありません。問題は、写し終わった時点で、書類が完成したように見えることです。

当局が10年間指摘し続けているのは、決める欄だけである

犯収法11条4号と同法施行規則32条1項1号は、この書類の作成を努力義務として定めています。制度としては、2016年10月の改正犯収法の施行から動いてきました。

そして施行から10年が経ったいまも、指摘され続けている箇所はほとんど動いていません。

指摘は、写す欄には向いていない

金融庁は2022年4月に公表した文書で、リスクの評価にあたっては、取引量や影響の発生率、影響度といった検証結果に加えて、自らの事業環境、経営戦略、リスク特性を踏まえる必要があると述べています。疑わしい取引の届出の分析についても、顧客ごとの評価の見直しにとどめず、商品・サービス、取引形態、国・地域、顧客属性、届出理由といった切り口で分析することを求めています。

同じ金融庁が2026年7月に公表した最新の文書でも、自らのリスク特性に応じて検証の対象を十分に洗い出せていない事業者がいると指摘されました。検証の範囲や手法について、合理的な根拠を十分に検討していない例も挙げられています。10年前に指摘されたことが、いまも同じ形で指摘されている。

ここで注目したいのは、指摘の中身です。危険度調査書の転記が足りない、という指摘ではありません。国の評価結果を写し間違えている、という指摘でもない。指摘は一貫して、自らの事業環境、自らのリスク特性、自らの届出の分析へ向いています。

同じ観察は、早い時期にすでに書かれていた

法律家からも、制度の初期に同じ趣旨の観察が出ています。ほとんどの事業者が改正法の施行に合わせて書面を作成したものの、その多くは一般的なひな形をなぞったものにとどまり、分析としては十分でないように見受けられる、という指摘です。

写す欄について指摘された事例を、私は見つけられませんでした。指摘は決める欄にしか向いていません。

決める欄が空でも、書類は完成して見える

ここが、この書類の構造上いちばん厄介なところです。

決める欄は、空欄のまま提出されるわけではありません。たいていは何かが書かれています。当社は主として一般消費者を顧客としている。営業エリアは県内全域である。過去5年間に届出の実績はない。どれも嘘ではなく、事実として正しい記述です。

けれども、これらの記述からは判断が出てきません。営業エリアが県内全域であることが、自社のリスクをどう高めるのか、あるいはどう下げるのか。その接続がないまま、事実だけが置かれています。

とりあえず一度作る、という構えが空洞を生む

未着手なら、まず一度作ってしまうことが大事だ。この助言はよく聞きますし、方向として間違ってもいません。着手しないまま期限を迎えるより、はるかにましだからです。

ただし、とりあえず一度作るという構えで臨むと、手は自然に写す欄から動きます。写す欄には答えがあるので、確実に進むからです。そして決める欄に来たとき、判断を保留したまま事実だけを置いて先へ進むことになります。

決める欄に事実を書いて済ませると、書類は埋まります。空欄がなくなり、体裁は整い、期限にも間に合う。しかしその書類は、もう何の役にも立ちません。判断が入っていない文書からは、何の判断も引き出せないからです。

数え終えたときの安堵が、いちばん危ない

私が一度、あるひな型を開いて欄をひとつずつ数えたことがあります。写す欄と決める欄に仕分けていったとき、決める欄の少なさに驚きました。ほとんどの欄には、外部にすでに答えが用意されていたのです。

そのとき最初に感じたのは、楽になったという安堵でした。これなら早く終わる、と。

その安堵こそがこの書類のいちばん危ないところだと気づいたのは、そのあとです。決める欄が少ないということは、書類の価値がその少ない欄に集中しているということでした。9割が写せる書類で、残りの1割まで写す姿勢で埋めてしまえば、あとに残るのは1割の空洞です。

判断基準は、他社と入れ替えて成立するかどうか

明日から自分の書類に当てられる基準を、一つだけ渡します。

完成したリスク評価書から、社名と代表者名と日付を消してください。そのうえで、同じ業種の別の会社に渡したとして、その会社の書類としてそのまま通用してしまうかどうかを見ます。

通用してしまうなら、決める欄が空です。

写す欄は一致してよい。決める欄が一致すると困る

写す欄は、同業他社と同じ内容になって当然です。国の評価結果は全社共通なので、そこが一致することは何の問題もありません。

問題は、決める欄まで一致してしまうことです。自社の営業エリア、自社の顧客層、自社がこれまでに届け出た取引の傾向。これらは会社ごとに違うはずのものであり、そこが他社と入れ替え可能なら、その欄は自社について何も語っていないことになります。

この基準のコストを、正直に書いておく

入れ替えテストを通そうとすると、作業量は確実に増えます。半日で終わるはずだった書類に数週間かかることもありますし、社内のデータを集める必要が出てきます。そして集めようとして初めて、そのデータがそもそも取れていないことが分かる。

増えた作業に対して、外形的な見返りはありません。提出義務のない書類であることが多く、通用する書類と通用しない書類は、期限を守ったという一点では同じ扱いになります。

それでもこの基準を渡すのは、この書類が単体で完結するものではないからです。リスク評価書は、日々の取引でどこに注意を向けるかを決めるための土台として設計されています。土台が他社と同じなら、日々の判断も他社と同じにしかなりません。自社に固有のリスクは、そこからは見えてこないのです。

決める欄を埋める材料は、社内にしかない

では、決める欄をどう埋めるか。材料は外にありません。検索しても出てきません。全部、社内にあります。

自社の取引を件数と金額で並べたときの分布。顧客属性の内訳。決済手段の内訳。過去に社内で不自然だと話題になった案件と、その後どう処理したか。届出をした実績があるなら、その理由の内訳。

多くの会社で、分布のデータが出てこない

このうち、すぐに出てこないことが多いのは分布のデータです。年間の総件数は分かっても、金額帯ごとの分布までは集計されていないことがあります。集計されていないということは、何が自社にとって高額なのかを、社内の誰も定義していないということです。

そしてリスク評価書には、その定義を求められる箇所があります。多額の取引を高リスクとして扱う以上、いくらから多額なのかを決めなければ、その評価は動きません。ここに国の定めはなく、顧客の収入や資産に見合わない額か、自社のこれまでの取引と比べて高い額か、という考え方が示されるだけです。

期限は、文書作成の期限ではない

ここからは私の解釈です。実務指針として確立された議論ではありませんので、そのつもりで読んでください。

決める欄を埋める作業の本体は、書類を書くことではないと考えています。自社の取引を集計して分布を見ることが本体であり、書類はその結果を記録する場所にすぎません。集計がなければ書けませんし、集計さえあれば書くこと自体はすぐ終わります。

だとすればこの書類の作成期限は、文書作成の期限ではなく、社内データの集計に着手する期限として読むほうが、実態に近いのではないでしょうか。なお、記載内容が法令上の要求を満たしているかどうかの最終的な判断は、所管行政庁や専門家に確認することを検討してみてください。この記事が扱っているのは書類の使われ方であって、法令解釈ではありません。

よくある疑問

Q:ひな型どおりに埋めれば、それで問題ないのでしょうか。

A:形式としては満たせます。ただしひな型が保証するのは、国の評価結果を漏れなく反映することだけです。自社の事業環境や取引実態をどう評価したかは、ひな型の外側にあります。当局の指摘が10年にわたって向いているのは、一貫してこの外側の部分です。

Q:過去に届出をしたことがない場合、どう書けばよいのでしょうか。

A:書式に従って、届出がなかったことをそのまま記載すれば足ります。ここを取り繕う必要はありません。ただし、届出がないという事実から自社のリスクが低いという結論を直接導くのは飛躍です。届出がないことと、自社の取引実態にリスクの高い類型が含まれないことは、別の話だからです。

Q:一度作れば、それで終わりでしょうか。

A:終わりません。少なくとも年1回の見直しが必要とされているほか、対策に重大な影響を及ぼす事象が起きた場合には随時の見直しが求められます。国の評価結果は毎年更新され、高リスク国のリストも年に数回入れ替わります。写す欄には更新作業があり、決める欄には自社の変化の反映があります。

Q:作成の過程に経営層は関わる必要がありますか。

A:金融分野の指針では、評価の過程に経営陣が関与し、結果を経営陣が承認することが求められる事項として挙げられています。この書類が資源配分の見直しに直結するものと位置づけられているためです。担当者が一人で完結させる書類としては設計されていません。

写す欄の速さを、決める欄に持ち込まない

この記事で言いたかったことは、一つだけです。リスク評価書は、9割が写す欄でできています。だから速く終わりますし、その速さは制度の設計どおりで、何も悪いことではありません。

危ないのは、その速さのまま残りの1割に入ってしまうことです。写す姿勢で決める欄を通り過ぎると、書類は完成し、期限は守られ、そして何も残りません。手を止めるべき場所は埋めにくい欄であり、埋めにくいのは、そこに答えがないからではなく、答えが自社の中にしかないからです。

あなたの書類は、社名を消しても、あなたの会社の書類のままでいられるでしょうか。

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