内部通報を受けて、調査を始めることになった。関係者に話を聞く必要がある。ただ、どこまで話してよいのかが分からない。
被通報者の上司には、事情を説明しないと調査が進まない。人事にも、処分を検討するなら伝えることになる。自分の上司には、報告義務があるような気もする。
委員会規程を読み直しても、共有してよい相手は列挙されていません。書いてあるのは、必要最小限の範囲を超えて共有してはならない、という一文だけです。必要最小限がどこまでなのかは、書かれていません。
世の中に流通している答えは、体制の整備です。記録を施錠する。アクセス権限を限定する。専用のメールアドレスを設ける。どれも正しいのですが、いま目の前にいる相手に何を話すかの判断には使えません。
この記事が立てる問いは、誰に話してよいかではありません。なぜ、誰に話してよいかという形で考えると、答えが出ないのか。
範囲外共有は、話した相手ではなく共有した情報で決まる
まず、法律上の定義を確認します。
範囲外共有とは、公益通報者を特定させる事項を、必要最小限の範囲を超えて共有する行為を指します。消費者庁のQ&Aでは、必要最小限の範囲は事案ごとに異なるため、各事案に応じて適切に判断する必要があるとされています。
ここで注目すべきなのは、禁止されている対象です。共有してはならないのは、通報の内容ではありません。通報者を特定させる事項です。
つまり、同じ相手に対して、同じ案件について話しても、通報者が特定される情報を含むかどうかで、範囲外共有になるかどうかが変わります。
判定の軸は、相手ではなく情報にあります。
この違いに気づくまで、私は役職の一覧を作ろうとしていました。ここまでは共有可、ここから先は不可、という表です。作ってみると、どの役職にも共有してよい理由が立ってしまい、表が完成しませんでした。線を引く場所を間違えていたわけです。
この違いは実務で大きく効きます。相手を軸にすると、その人が信頼できるか、権限があるか、口が堅いかといった評価が必要になります。どれも主観的で、その場で確信を持てません。情報を軸にすると、いま口にしようとしている内容が通報者を特定させるかどうかだけを見ればよくなります。
上司だから話してよい、という判定が成り立たない理由
委員に任命された人が最初に迷うのは、自分の上司への報告です。組織で働いていれば、上司への報告は基本動作です。報告義務がある、と考える人もいます。
ここで、役職で線を引こうとするとどうなるかを試してみます。
自分の上司には、指揮命令の関係があるから話してよい。役員には、経営責任があるから話してよい。人事部長には、処分の権限があるから話してよい。被通報者の上司には、管理責任があるから話してよい。通報者の上司には、配慮の必要があるから話してよい。
どれも、それらしい理由がつきます。そして理由がつく以上、線はどこにも引けません。役職を並べて、ここから上は良い、と決めることが原理的にできない構造になっています。
制度の側も、役職では線を引いていません。消費者庁のQ&Aは、必要最小限の範囲を事案ごとに判断するとしており、役職や部門による区分を示していません。従事者の指定も、役職ではなく、通報者を特定させる事項を伝達される立場かどうかで決まります。
報告義務についても、整理が要ります。委員が負う報告義務は、委員会や取締役会という機関に対するものです。日常の指揮命令ラインの上司に報告する義務ではありません。この2つは別の経路で、規程上も別に定められています。
では、何が通報者を特定させる事項に当たるのか。氏名だけではありません。所属部署、役職、担当業務、勤続年数、通報の日時。単独では特定に至らなくても、組み合わせると絞り込める情報が該当します。小さな部署の話であれば、部署名を言った時点で候補が数人になります。
通報が契機であることを伏せれば、同じ質問ができる
線を情報の側に引くと、調査の進め方が変わります。
消費者庁の指針の解説に、次の考え方が示されています。調査に当たって通報内容を他の者に伝える際、その調査の契機が公益通報であることを伝えなければ、情報伝達される相手方は公益通報がなされたことを確定的に認識できず、公益通報者が誰であるかについても確定的に認識することを避けられる。したがって、必要に応じて従事者以外の者に調査等を依頼する際には、その調査が公益通報を契機としていることを伝えないことが考えられる、というものです。
具体的にはこうなります。
ある部署の経費処理について通報があったとします。伝票を確認する必要がある。このとき、通報があったので確認したい、と言えば、その部署の誰かが通報したことが伝わります。人数が少なければ、通報者はほぼ特定されます。
代わりに、定期的な内部確認として伝票の提出を求めれば、同じ資料が手に入ります。相手には、通報の存在自体が伝わりません。
質問の中身は変わっていません。変えたのは、その質問がどこから来たかという情報です。
この方法には限界もあります。調査の理由を説明しないと協力が得られない場面はありますし、時期や対象が限定されすぎていて、誰の目にも通報が契機だと分かる場合もあります。それでも、まず伏せられるかを検討する順序にすることで、伝えずに済む場面はかなり残ります。
伏せられない場合は、対象を広げるという方法があります。通報のあった部署だけでなく、同種の業務を行う複数の部署に同じ照会をかける。手間は増えますが、通報元が絞り込まれません。定期監査の対象に含めてしまうのも同じ考え方です。
判断の順序は、こうなります。誰に話すかを先に決めるのではなく、何を伝えずに済ませられるかを先に決める。それから相手を選ぶ。
誰が通報したかを考えること自体が、禁止行為の側にある
もうひとつ、見落とされやすい規定があります。
通報者の探索とは、内部公益通報をした者を特定しようとする行為を指します。消費者庁のQ&Aでは、公益通報者が誰であるか特定することを目的として推測や情報を収集する行為等は、通報者の探索に該当し得るとされています。
推測が含まれています。
内容を読めば、書ける人はこの数人に絞られる。そう考えることは自然に起きます。ただ、それを特定を目的として行えば、探索の側に入ります。
実務上、完全に考えないことは難しい。それでも、考えたことを口に出さない、記録に残さない、確認しにいかないという線は引けます。頭に浮かんだ推測を、行動に移さないところで止める。
そしてここが重要なのですが、推測が当たっているかどうかを確かめる必要は、調査の遂行上ほとんどありません。調べるべきは通報された事実であって、誰が通報したかではないからです。確かめたくなったときは、その確認が調査に必要なのかを自問すると、たいてい必要ないという答えになります。
探索が問題になるのは、それが周囲に伝わるからでもあります。委員が特定の人物を気にしている様子は、本人にも周囲にも読み取られます。目を合わせない、逆に話しかける回数が増える、その人の担当業務について急に詳しく尋ねる。どれも、あの人ではないかという推測を組織に広げます。
推測を止める理由は、法律上の禁止に当たるからだけではありません。止めなければ、通報者を守るという目的そのものが達成できないからです。
ただし、ここで扱っているのは特定を防ぐ側だけです。小さな部署の案件では、調査が始まった時点で候補が数人に絞られ、どれだけ伏せても勘のいい人には分かります。特定を完全に防げる前提で制度を組むと、防げなかった場合に何も残りません。
特定されてしまった後、通報者が職場にいづらくならないようにする措置は、別に必要です。指針も、範囲外共有や探索の防止とは分けて、不利益な取扱いを防ぐ措置と、不利益を受けていないかを把握する措置を求めています。この記事が示すのは前者の技術であって、後者の設計は別の論点になります。
話してしまう場面は、判断ではなく反射で起きる
ここまでは判定基準の話でした。ただ、実際に情報が漏れる場面の多くは、判定を経ずに起きます。
たとえば、廊下で誰かに「例の件、大変ですね」と言われる。相手が知っている前提で話しかけてきているので、否定するのも不自然に感じる。曖昧に頷いて、少し話を合わせる。この時点で、案件の存在が確定情報として相手に渡っています。
相手が本当に知っていたのかは、確かめていません。カマをかけられただけかもしれない。別の話と取り違えているのかもしれない。それでも、こちらの反応が肯定として機能します。
ここからは私の解釈です。この場面に判定基準は効きません。判定する時間がないからです。
有効なのは、返答をあらかじめ決めておくことだと考えています。委員会の話は一切しない、という一文を用意し、どの話題が来ても同じ文で返す。内容によって返し方を変えると、変えたこと自体が情報になります。何も知らないふりをすると不自然になりますが、話さないと決めていると伝えるのは不自然ではありません。
同じ理屈で、忙しそうにしている、疲れた顔をしている、特定の会議室によく入る、といった外形も情報になります。完全には消せませんが、委員である以上そういう時期もある、という程度に留めることはできます。
委員が複数いる場合は、返答の文言を全員で揃えておくと効きます。誰に聞いても同じ答えが返ってくる状態は、それ自体が探索を止めます。
案件が終わった後も同じです。あの件は解決した、と関係者に伝えたくなりますが、伝えた時点で案件の存在が広まります。是正措置の内容が具体的すぎる場合も、そこから通報元が逆算されます。終わったことは話してよい、という区分は成り立ちません。
よくある疑問
Q:被通報者の上司に事情を説明せずに、調査はできますか。
A:多くの場合できます。調査の契機が公益通報であることを伝えなければ、通報者を特定させる事項の伝達を避けられる、というのが消費者庁の指針の解説に示された考え方です。定期的な確認や別の目的による照会として資料を求める形にすれば、同じ情報が得られます。説明が避けられない場面もありますが、まず伏せられるかを検討する順序にしてください。
Q:委員が上司に話した場合、罰則はありますか。
A:従事者に指定されていれば、公益通報者保護法12条の守秘義務違反として30万円以下の罰金の対象になります(同法21条)。指定されていない場合、同法上の罰則はありません。ただし罰則がないことと、行為が許されることは別です。就業規則に基づく懲戒処分、通報者本人からの損害賠償請求、そして目的によっては個人情報保護法179条の適用があり得ます。
Q:外部窓口に委託しているので、自分は通報者の情報に触れません。それでも関係ありますか。
A:関係します。外部窓口が受け付けた後、調査は社内で行われるのが通常です。その段階で、委員は通報内容に触れます。また外部窓口の従事者が範囲外共有を行った場合、公益通報者保護法12条違反として同法21条の罰則が科される可能性がありますが、実効的な救済が困難な場合も想定されるため、防ぐ措置の徹底が重要だと消費者庁は示しています。委託したことで、社内側の判定が不要になるわけではありません。
Q:誰が通報したか見当がついてしまいました。どうすればよいですか。
A:見当がついたこと自体は避けられません。問題は、その先の行動です。確認しにいかない、口に出さない、記録に残さない。この3つを守れば、探索には当たりません。また、その推測が正しいかどうかを確かめる必要は、調査の遂行上ほとんどありません。調べるべきは通報された事実の方です。
線は人ではなく情報に引く
誰に話してよいかという問いは、答えが出ない形をしています。役職を並べても、どの役職にも理由がつくからです。
制度が引いている線は、別の場所にあります。通報者を特定させる事項を、必要最小限を超えて共有しない。禁止されているのは特定の相手に話すことではなく、特定させる情報を渡すことです。
この置き換えができると、調査の設計が変わります。まず、伝えずに済ませられる情報を決める。それから、その情報を伏せた状態で誰に何を聞くかを組み立てる。順序が逆になっているうちは、毎回迷い続けることになります。
そして迷っている状態は、それ自体がリスクです。判定に時間がかかれば調査は遅れ、遅れれば通報者は放置されたと感じます。基準が定まっていれば、判断は速くなります。速い判断は、通報者に対する誠実さの一部です。
いま伝えようとしている一文は、通報者を特定させるものですか。
