内部通報が来ない会社は、不正がないのではなく、不正が見えていない

内部通報の窓口を設置した。規程も作った。研修もやった。それから1年が経ち、通報は1件も来ていない。

健全な証拠だと考えるべきなのか、それとも制度が使われていないだけなのか。判断がつかないまま、年度の報告書には受付件数0件と書く。

書きながら、この0件が何を意味しているのかを説明できないことに気づきます。増えていれば問題が多い組織に見え、減っていれば制度が使われていないように見える。どちらに動いても悪く読める数字を、指標として扱っている状態です。

世の中に流通している答えは、だいたいこうです。通報ゼロは危険信号かもしれない。従業員が諦めているのかもしれない。報復を恐れているのかもしれない。

どれも、かもしれない、で終わります。自社がどちらなのかを判定する方法は示されません。

この記事が立てる問いは、件数の解釈ではありません。通報が止まっている組織では、実際に何が失われているのか。それを確かめる方法はあるのか。

目次

通報ゼロは、例外ではなく多数派である

まず、自社だけが少ないのではないかという不安には、数字で答えが出ています。

消費者庁が令和5年度に実施した実態調査によると、内部通報制度を導入している2,448の事業者のうち、窓口の年間受付件数が0件だったのは30.0パーセント、1件から5件が29.3パーセントでした。把握していないという回答を含めると、全体の65パーセントがこの帯に入っています。

つまり、通報が来ない状態は珍しくありません。3社に1社は0件です。

平成28年度の同種調査では、この帯が77パーセントを占めていました。8年で12ポイント改善していますが、依然として大半の事業者で窓口はほとんど使われていません。

ここから分かるのは、件数の少なさが自社固有の問題ではないということです。そして同時に、他社も同じだから問題ないという結論にはならないということでもあります。

比較の相手が全部同じ状態にあるとき、比較は判断材料になりません。3社に1社が0件だという事実は、自社の位置を教えてくれますが、その位置が良いのか悪いのかは教えてくれない。別の見方が必要になります。

件数が少ない組織は、不正を見つける経路そのものを失っている

同じ調査に、件数と不正発見能力の関係を示すデータがあります。

事業者に対して、不正をどうやって発見しているかを尋ねた設問です。内部通報を発見の端緒として挙げた割合を、窓口の受付件数別に見ると、次のようになります。

受付件数0件の事業者では56.9パーセント。1件から5件では79.7パーセント。6件から10件では92.1パーセント。100件超では96.4パーセントです。

件数が増えるほど、割合は100パーセントに近づきます。

この数字の読み方には注意が必要です。因果関係が証明されているわけではありません。ただ、少なくとも次のことは言えます。通報が来ない組織では、不正を発見する主要な経路として内部通報が機能していない。そして代わりに何が機能しているかというと、内部監査や上司による業務チェックです。

問題は、この2つで見つかる不正の範囲が限られていることです。監査は仕組みの不備を見つけますが、仕組みの内側で意図的に行われている行為は見つけにくい。書類が揃っていて、承認も通っていて、それでも実態が違うという類のものです。上司によるチェックは、その上司自身が関与している場合には働きません。

内部通報が届かない組織は、この2つで見つかる範囲の不正しか認識できていません。それ以外の不正がないのか、あるが見えていないのかは、その組織自身には分かりません。

問題がないから通報がない、という理解が成り立つには、通報以外の経路で全体を見渡せている必要があります。監査と上司のチェックだけでは、その条件を満たしません。

失われているのは信頼ではなく、経営が使う情報である

内部通報制度は、コンプライアンスの文脈で語られます。従業員の信頼、企業イメージ、法的リスク。どれも正しいのですが、経営の実務から見ると少し遠い話に聞こえます。

もう少し近いところに置き直すと、こうなります。

通報が来ない状態で失われているのは、経営が意思決定に使う情報です。

経営は、現場で何が起きているかを、報告を通じて知ります。報告は組織の階層を上がってくる過程で、少しずつ整えられます。都合の悪い部分が丸められ、数字が調整され、まだ確定していないという理由で遅れます。これは悪意の話ではなく、報告というものの性質です。

途中の階層にいる管理職には、自部門の問題を自部門で解決したいという動機があります。上げれば管理能力を問われ、上げなければ解決するかもしれない。この判断は、その人の立場からは合理的です。ただし解決しなかった場合、問題は上がらないまま大きくなります。

内部通報は、この階層を経由しない情報の経路です。整えられる前の情報が、直接届く。制度の価値はここにあります。

その経路が閉じると、経営が受け取る情報は、階層を通ってきたものだけになります。報告と実態の差は、時間とともに広がります。そして広がっていることに気づく手段も、同時に失われています。

同じ調査で、内部通報制度に効果を感じていないと回答した197の事業者のうち、72.1パーセントが受付件数0件でした。効果がないから使われていないのか、使われていないから効果を感じられないのか。順序は分かりませんが、両者が同じ場所にいることは確かです。

件数以外に、制度が生きているかを見る観測点がある

件数を指標にすると、行き詰まります。増えれば問題が多い組織に見え、減れば制度が死んでいるように見える。どちらに動いても悪い解釈ができてしまうので、指標として使えません。

私自身、この点で長く詰まっていました。件数を追うのをやめて、別の問いに置き換えたところで整理がつきました。問いはこうです。この組織は、不正を認識できる状態にあるか。

この問いなら、件数以外の観測点で答えられます。

ひとつは、周知の形です。同じ調査では、トップメッセージの発出と研修の両方を実施している事業者は全体の21パーセントで、どちらか一方またはどちらも実施していない事業者と比べ、受付件数が多い傾向が認められています。両方やっているかどうかは、その場で確認できます。

研修は制度の存在を伝えます。ただし、使ってよいという合図までは伝わりません。両方が揃うと件数が動くという相関は、周知の量ではなく組み合わせが効いていることを示しています。

ふたつめは、通報者を特定できる情報が、誰の手元にあるかです。調査では、従事者を指定していない事業者がその理由として挙げた回答の約半数が、上司などに直接情報が共有されており特段の不都合もないため、というものでした。

これは重要な数字です。通報者の情報が上司に共有される運用が、不都合とは認識されないまま設計に組み込まれている。この状態では、従業員が窓口を使わないのは合理的な判断になります。

みっつめは、通報した人がその後どうなったかを追える形になっているかです。異動、評価、担当業務の変更を、通報の前後で確認できる仕組みがあるか。なければ、報復が起きていないことを組織として確認する手段がありません。

これは2026年12月1日に施行される改正公益通報者保護法とも関係します。改正法では、通報から1年以内の解雇や懲戒は、通報を理由とするものと推定されます。立証責任が会社側に移るため、処分が通報と無関係であることを、処分の時点で記録しておく必要が生じます。追跡の仕組みは、通報者を守ると同時に、会社を守る側にも働きます。

この3つは、通報が1件も来ていない状態でも確認できます。件数を待つ必要がありません。

通報が止まると、残る人と抜ける人が入れ替わる

ここからは私の解釈です。データで裏づけられた話ではありません。

通報が届かない状態が続くと、組織の人員構成が少しずつ変わっていくと考えています。

おかしいと感じて声を上げようとする人は、一度試して届かないことを知ります。次は上げません。それでも状況が変わらなければ、その人は組織を出ます。一方で、見て見ぬふりができる人は、特に困りません。そのまま残ります。

この選別は、数年かけて静かに進みます。誰かが意図したわけではなく、環境がそう作用するだけです。そして数年後には、問題を問題として認識できる人が組織内に少なくなっています。

残った人にとって、その状態は異常ではありません。長く同じ環境にいれば、そこにあるものが基準になります。外から見れば明らかにおかしい運用が、内側では日常として続きます。

そうなると、制度を作り直しても通報は来ません。通報する人が、もういないからです。

制度への信頼は、蓄積に時間がかかり、失われるのは速い。この非対称があるので、まだ人が残っているうちに確認する意味があります。

言い換えると、通報が来ない期間そのものが、確認できる時間の残りを削っています。0件が続いている年数は、制度が使われていない年数であると同時に、声を上げる人が組織を離れていった年数でもあります。

よくある疑問

Q:通報が0件なのは、本当に問題があるということでしょうか。
A:0件であること自体は、問題の有無を示しません。消費者庁の令和5年度調査では、制度を導入している事業者の30.0パーセントが0件でした。ただし、0件の事業者では、不正発見の端緒として内部通報を挙げた割合が56.9パーセントにとどまり、100件超の事業者の96.4パーセントと差があります。件数ではなく、不正を認識できる経路が確保されているかを確認してください。

Q:外部窓口を設置すれば、通報は増えますか。
A:増える可能性はありますが、それだけでは足りません。同じ調査では、外部に窓口を設置している事業者は全体の79パーセントに達しています。設置率がここまで高い以上、設置の有無だけで件数の差は説明できません。通報者の情報が誰の手元に残るかという運用の側を、あわせて確認する必要があります。

Q:件数を増やすことを目標にしてよいのでしょうか。
A:目標にすると運用が歪みます。件数は結果であって、操作する対象ではありません。確認すべきなのは、周知の形、通報者情報の取扱い、通報後の追跡ができる状態かどうかの3点です。これらが整えば、必要な通報は届くようになります。

Q:通報が来ないうちに、何から手をつければよいですか。
A:通報者を特定できる情報が誰の手元に残るかを、先に決めてください。同じ調査では、従事者を指定していない理由として、上司などに情報が共有されており不都合がないためという回答が約半数を占めました。この設計のままでは、周知を強化しても通報は増えません。従業員から見て、名前が上司に渡る仕組みだからです。

通報がゼロであることは、答えではなく問いである

内部通報が来ないという状態は、それ自体では何も語りません。健全な組織でも、制度が死んだ組織でも、同じように0件と表示されます。

分かれ目は、その0件をどう扱うかにあります。答えとして受け取れば、そこで確認は終わります。問いとして受け取れば、件数以外の観測点を見にいくことになります。

確認すべきなのは3つでした。周知がトップメッセージと研修の両方で行われているか。通報者を特定できる情報が誰の手元に残る設計になっているか。通報した人のその後を追える形があるか。どれも通報が1件も来ていない状態で確認できます。

失われているのは信頼という抽象的なものではなく、経営が判断に使う情報そのものです。そして情報が減っていることは、情報が減っているために気づきにくい。この一点だけが、他の経営課題と性質が違います。

自社が今どちらの状態にあるかを、件数以外の何で確認していますか。

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